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2004年1月の記事

2004.01.31

気に入ったソフト Renamer4Mac を見つけた

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今日は、探していたソフトを見つけたので気分が良い。暫くそのままにしていた「新しもの好きのダウンロ〜ド 2004/01/15」を開いた。
Renamer4Mac 2.0.1 (J/E) (295KB) 複数のファイル名をまとめて変更できるソフト。置き換えや連番付けなどに対応。[フリーウエア]
というソフトを見つけ、これは探しているものに違いないと思った。
早速訪れて見ると英語のページなので 「英語ページを日本語に2」 を使って日本語に翻訳してみた。
左メニューの「ダウンロード」をクリックしてダウンロードし、インストールも無事に済ませることが出来た。このソフトに期待していた機能は、"/" を "_"、"." などに変えることである。
私はデジタルカメラからの画像を iPhoto 2 を使って取り込み、取り込んだ画像の中から Web 用のアルバムを作成するのに、Dreamweaver 4 を更に使っているが、これが旨く連動しないので悩んでいたのだ。
iPhoto 2 から画像ファイルの書き出しをすると、タイトルとして使用している日付/時刻の表示のうち ":" が "/" になるが、Dreamweaver 4 のコマンドを使った「ウエブフォトアルバムの作成」では "/" が読み込めないので、アルバムを作成することが出来ないのである。
私は手作業で "/" を削除して、いちいち "_"に置き換える作業を続けていた。一度に数十枚の写真を処理するので、文字の変換ソフトを探していたのである。自分でスクリプトを書こうとも思ったが、私はまだその域に達していない。勉強を始めているがとても間に合わない。そんな訳でこのソフトに期待するところは大きかった。
Renamer4Mac を起動させるとメタリックで小さな画面が現れた。画面を見ただけで使い方はほぼ察しがつく。真ん中の大きなフィールドに変換したいファイルをドロップすると、その下のプルダウンメニューから「検索&置換」を選び、「検索パターン」の書き込み欄に ":" を書き入れ、「次に置換」の書き込み欄に "_" と書き入れて「名前を変更」ボタンをクリックした。
「指定のとおりにファイルの名前を変更してよろしいですか?」という警告画面が出てくるので「実行」ボタンを押す、すると直ちにフィールドの中のファイル名が指定のとおりに置換され、同時に目的のファイルの文字が置換されていた。
こうして今日は長い間の懸案が解決したので、とても嬉しい日であった。

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2004.01.30

左持ち手の急須と片手キーボード

2004.01.30 14:30.JPG

むかし横須賀の米が浜通界隈をよく歩き回っていた頃、お茶屋さんが多いことに気が付いていた。それもみな由緒ある風情を感じさせる店の作りであった。
どこの店にも急須が綺麗に並べられていて、それを見て回るのが私の楽しみであった。毎日のように見て回っているうちに、面白い急須があることに気が付いた。片手で握る持ち手ではなく、それに代る輪の持ち手が付いているのである。その輪を持ってお茶を注ぐので、急須を傾ける方向は少し違うことになる。
輪の作りには色々な種類があるが、輪の下の本体との間が透かし彫になっているものが多かった。こうして持ち手が本体から離れているので、そんなに熱さは伝わらないと思われた。ほとんどは茶色い色をしている陶器である。
この急須はどこのお茶屋さんにも置いてあった。和菓子屋さんにも置いてあるところがあった。しかし、そのご私の行く先々のお茶屋さんを覗いてみているが、この輪の持ち手の急須を横須賀以外で見たことはない。東京といっても中央線沿線であるが、吉祥寺界隈で見たことはない。
私は事情があって、左手で使う急須を長いこと探していたので、この急須が非常に気に入ってしまった。左右どちらの手でも使うことが出来るからである。しかし値段はとても高い。輪の持ち手部分の透かし彫りが手作りだから、値段が高いのもやむを得ないのだろう。
見て回っているうちに、とても気に入った輪の持ち手の急須をとうとう買う決心をして注文した。しょっちゅう訪れているうち馴染みになっていた女主人に、どうしてこれが欲しいか、と聞かれた。事情を話すと女主人は、これは高価な急須なので、そういう事情なら左持ち手の急須を作りましょう、暫く待っていて下さいといった。
女主人に呼ばれたのは半月余り過ぎたころであった。女主人は、店先にある大きな箱を開けて詰め物の中から左持ち手の急須をとり出し、ひとつ私の手に乗せてくれた。箱のなかにはまだ同じ急須が沢山あった。私のたった一つの急須の求めに、女主人はひと釜焼いてくれるよう常滑の窯元に注文したと、話をしていて分かった。私は非常に恐縮してこの左持ち手の急須を2個購入し、女主人に何度もお礼を言った。
それから幾月も過ぎた頃、吉祥寺の街のお茶屋の一軒に全く同じ左持ち手の常滑の急須を発見した。それもとうの昔に無くなっていて、もう見当たらない。
この急須の話を思い出したのは「MacPeople2.15」の「キーボードの問題点 第27回」を読んだからである。そこには、「文章を書きながら、痒いところが掻けない」・・・キーを叩いていると両手が塞がって・・・・・とあったのだ。そのとき、左持ち手の急須を想い出すと同時に、キーボードが片手で、それも左手で操作出来たらどうだろう、と漠然とした考えも浮かんできたのである。
すぐに携帯電話を片手で操作してメールを打っている女性の姿が、なぜか目に浮かんできた。紙に文字を書きながら、もう片方の手で何かしている人の情景も目に浮かんできた。今のキーボードはタイプライターから発展してきたのだから最初から両手を使う以外に発想は無かったんだ、という考えも一緒に浮かんだ。
そうか、タイプライターを使わない人たちは、だから片手の一つか二つの指でキーボードを叩いているのだ、と想い出してきた。両手を使って文字を書くなんて、タイプライター嬢じゃないんだ、頑固に片手で打っているがおれは新聞記者だ、と色々な情景が錯綜しながら噴出してきた。
誰かが考えて挫折しているのかも知れないが、片手で操作出来るキーボードがあってもいい、それがあったら私は買ってみようと想う。

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2004.01.29

襟裳海岸の昆布漁と日露戦争

2002.09.24 12:32.JPG

むかし北海道の襟裳岬の営林署官舎にゆえあってご厄介になっていた頃の話である。小高い丘の上から見る、夏の襟裳海岸の朝3時はまだ薄暗かった。昆布漁が始まる前の海岸には100隻を越える手漕ぎ船が並んで、出発の合図に長老が旗を振るのを待っていた。広い海岸線に展開した3人の長老が旗を振るのを合図に、船は一斉に沖を目掛けて漕ぎ出し昆布が集まって生えているところに急ぐ。
昆布は海岸線に沿って均等に生えている訳ではないが、100隻を越える船は海岸線に均等に並んで昆布出漁の準備をする。海岸には、採ってきた昆布をすぐさま乾すため綺麗な小石を並べ、家族が待機している。皆、自分の家の前の海岸にこうして舟と敷石を準備するのである。
やがて水平線から上がってくる真っ赤な太陽に照らし出された海には、先を争って漕いでいるたくさんの舟が光を浴びて浮かび上がり、その勇ましい姿がはっきりと見えてくる。数ヶ所に別れて、集まった舟が舷側を接して昆布を採り始めている。昆布のあるところは限られた場所なので舟が集中してくる。全く舟がいない場所の下には昆布が生えていないのである。
舟同士が接触したり、採った昆布の荷が偏たりして1隻でも転覆すると、長老が全100隻に停船を命じてその小舟を救助する。救助し終わったのを見届けた長老は、また旗を揚げて昆布採りを再開させるのである。
私はこの情景を「日本海海戦」の絵のようだと心に刻んで、今も思い出している。子供の頃に見た「日本海海戦」の絵とそっくりに見えたからである。だが、日本海海戦前後の日本のことについては、その当時も以後も知ることがなかった。
最近、散歩の途中に寄った吉祥寺のブックス ルーエで「日露戦争」(もう一つの「物語」)長山靖生・新潮文庫に出合った。薄い200ページの本を手に取って見ると「今、戦争について考えている。戦争そのものというより、戦争という事態を前にして昂揚するさまざまな心の動きに、私はこだわりを覚える。そこでは、」と続くまえがきを読んだ。
日本海海戦のイメージによって呼び起こされる心象風景は何なのか、この本から辿れるのではないかと感じ即座に買い求めることにした。
まだ90ページ程しか読んでないので日本海海戦には到達していない。だが「表現者」という新たな概念も知った。たくさんの著名な小説家や文学者がかかわっていることも知った。簡潔な年表と合わせて読み進めると、日本海海戦の新たな絵を知ることが出来るだろう、と今思っている。

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2004.01.28

井の頭公園の冬のサクラ

2004.01.28 13:01.JPG

1月下旬、サクラの木の枝にはまだ何もない。一見枯れているようにも見える。でも、一度でもここに来てサクラの花を見たことのある者には、もうそろそろ春4月の開花がまぶたに浮かぶのである。
公園管理者の絶え間ない手入れで、サクラは毎年何事もなかったように花を咲かせ春を謳歌している。きっと今年もよい花を咲かせるだろう。
ここのサクラの木の幹は横になっているものが実に多い、池の方に向かって倒れている木もあれば池を背にして倒れ込んでいる木もあり、花の咲く位置は低い。もちろん垂直に高くに伸びている木もあるが、花の位置は高い。

2004.01.28 13:10.JPG

もうまもなく、井の頭公園はサクラの花で一杯になってしまうな、と思いながら岸辺の歩道を行く。鴨の一団が一斉に飛び立ち、また一斉に戻ってきた。まだ寒さは深まっていく時期だが、今日は少し春めいて池の波も緩く暖かであった。
花が蕾の頃から木の下には沢山の人が訪れ、花が咲き出すと木の下には人が座って満杯になり、歩きながら見物する人の列はとぎれがない。七井橋から見渡すと池の縁がサクラの花に覆われて、岸辺はよく見えない。
七井橋からゴジラの木の方を見渡しながら、枯れ木の岸辺に思いを馳せて、来る春の気配を感じてみた。

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2004.01.27

低血圧と高血圧の面白い話

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今日は、久しぶりにむかしの仲間と会う機会に恵まれ、ひょんなことから私の思い出話をすることになった。
若いとき、上司が午前中毎日のように私を喫茶店に誘ったことがあった。あるとき、何故午前中に喫茶店に来るのか、そのわけを話してくれた。それによると、血圧が低いせいで午前中は人の話を聞くのも苦しくて、こうして避難している、ということなのである。
初めて聞く話であり、低血圧の大変なことを知らされた思いだった。いったい低血圧の人ってどんな人がいるんですかと聞いてみた。上司はたちどころに5〜6人の名前を挙げ、まだ沢山いるよといった。
私は聞いた途端に、その人たちがマージャンが強いといわれている人たちだということに気が付いた。夜通しマージャンをして負けると、朝早く起き出して”おい起きろ”と仲間を起こし、またマージャンをしている有名な人がいることも思い出した。
その人は、夜めっぽう強い低血圧の人は朝起きるのがめっぽう弱い、ということを多分よく知っていたに違いない、と思った。
このとき私は、日常とかけ離れた見知らない世界での激しい戦いを垣間見た気分になって、計り知れない人間の血の深さに打ちのめされた。
ところが今日、出席者の一人からまた私には思いも寄らない話を聞くことになった。高血圧の人には激しい仕切り屋が多く、釣り好きが多いというのだ。彼も彼もと名を挙げられた人たちには確かに共通点があった。
ときに人を激しく攻めることがあり弁が立つ人たちだ。なかには攻撃しているうち引きどころが無くなっても止めない、激しい性格の人がいる。彼らはみな高血圧なのだという。そうか、こうして人間の集団は血圧においてバランスが取れるようになっているのだ、とまた底知れぬ人間の成り立ちの奥深さを覗かせられた気分になった。
人間の血圧はその人の意志ではどうにもならない、その人の行いが血圧になって表れるとしかいいようがない。やはり、人間は平衡でなければならない。弱酸性が良いといっても、平衡からはどちらに傾いても僅かであることが大切なのだ、とあらためて思った。
今日は勉強になりました、と再会を約して別れたのはだいぶ夜も回っていた。こうして非日常的な世界を突き抜けて、今日も散歩から満足げに帰ってくることが出来た。

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2004.01.26

色彩を立体視する

2003.12.13 12:03.JPG

今日、家で「色彩楽のすすめ・尾登誠一・岩波アクチブ新書101」を読んでいたら、「色彩を立体視する」という項があった。球の表面は各色で覆われ、北極点は白、南極点は黒、赤道に当たるところには赤橙黄緑青藍紫の純色が並ぶとされ、この色彩球を透視するという内容である。色彩球の中心は全ての色彩の中間色であるらしいが、私には透視出来なかった。
むかし素晴らしい友人がいて、あるとき私の家に遊びに来るや否や「星空が立体的に見えた」と興奮していった。話を聞くと、昨日の夜、星空を見ていたら突然、全ての星に遠近があって近い星と遠い星が見えた、宇宙が広大な立体に見えた、というのである。
その後この話を人に話したことはあるが、似たようなことを他の人から聞いた記憶は無い。でも、私は立体的な宇宙の中にいる自分を想像することは出来る。
だいぶ前、「料理の四面体・玉村豊男・文春文庫」を読んだことがある。この立体の表面には世界の料理の変化が全て収められていて、そこから再び美味を取り出す、というものであったと思う。立体の内部がどうなっていたかは覚えていない。
我々三次元の世界に住むものにとっては、全てのものを三次元立体として認識するるのが本来なのかも知れないと思うが、私にはなかなか難しい。

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2004.01.25

千代田区のホテル23階からの眺め

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今日は新年会に出席したので、ビルの窓から空中散歩をしてみることにした。窓から最初に目に付いたのは幾つも建っているビルで、23階の高みから見るとビル全体をかなり詳細に観察することが出来る。何故そこに立っているのかということまでは分からないが、マンションなのか事務系ビルなのかホテルなのかは、その佇まいと窓の作りなどで想像がつく。
下の方に目をやると、深い谷底を覗くような気分になって自分が空中に浮かんでいるように思える。道と車と人がくっきりと見えて、普段見たことのない視角が充分に楽しめる。
人は普通水平に視野を広げていて、なかなか上方や下方に視界を移すことはしない、このことを私は常々不思議に思っている。
道路を歩いている人が、はるか上空からの視線を感じることなど普通は無いだろうし、上を見るなどということもまず無い。
私は、道を歩いていているとき時折目を上げて、喫茶店の2階の窓から見下ろしている他人と、目を合わせてしまったりする。時折あえて上を向いてみたりして、普段の視野を広げてみたくなる。
昔、高圧線に昇って広い視界を楽しんでいたころ、私を探して友人たちが鉄塔の下まできて大声を出しているが、遂に上を見なかったことがあった。私も大声を出して”ここだ””ここだ”と何度叫んでも友人たちは狼狽えるばかりで上を見なかった。そのことは私に深い疑問を今に残している。
こうして、空中散歩は思い出の中に侵入してしまったので、これで終わることにする。

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2004.01.24

吉祥寺の喫茶店ルーエ

散歩の途中、吉祥寺のサンロードにあるブックス ルーエに寄った。だいぶ前ここは喫茶店で、2階をよく利用していた。その前はどんな店であったか覚えていない。
ルーエが喫茶店時代は吉祥寺で一番広い喫茶店であったと思う。待ち合わせ場所として人の口に乗ることが多かった。
そのころ吉祥寺には大きな本屋が少なく、たまに出来ては暫くして消えていた。古くからある古本屋と小さな書店だけで、本を探すには渋谷か新宿に行っていた。
私の記憶にある本屋は、吉祥寺駅ロンロンの弘栄堂書店、パルコのパルコブックセンター、伊勢丹デパートのブックセンター、東急デパートの紀伊国屋で、近鉄デパートに本屋はなかった。今は伊勢丹デパートに本屋は無く、外に増えてもいない。
散歩の途中でよく寄る本屋はパルコブックセンターとルーエで、たまに弘栄堂に寄る。本棚を見て歩くと森の中の木を見て歩いているようで、私にはとても楽しい。
時々本が私を呼んでいるように思えることがある。それは、ひとりでにその本の前に立っているのに気が付いたときで、そんなときはめったに無いがとても感動を覚える。
今日もそうして本を1冊買った。ああ今日の散歩は充実していたな、と買ったばかりのその本を読みながら家路についた。

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2004.01.23

車中での時間は短いのか

体内時計について、かなり前から興味を持っていた。一息入れてココログの新着記事一覧を見ていたとき、「時間のものさし」というタイトルに目が留まった。私の関心を引いた点は以下のところだ。

日常、退屈なときは時間が進むのが遅く感じられ、何か夢中になって楽しんでいるときは速く感じられるのは、多くの人が実感しているかもしれないけれど、時間帯によっても、その「ものさし」が変化するなんて、ちょっと意外でした。

昔のことだが、車の助手席に乗せてもらって遠出をしていたとき、面白いことがあって今でもよく覚えている。退屈だったので、運転している友人に「遊び」を持ちかけ、1分経ったら”1分”と言ってくれませんか、と頼んだ。
”1分”、突然大声を出した友人の顔を見ると、大真面目だった。私の腕時計はまだ10秒を回ったばかりで、信じられない瞬間だった。それから何度も繰り返したが、最長で40秒台であった。午前中でも車はそんなに飛ばしていたわけではなかったが、このとんでもない時間の短さの理由はよく分からなかった。私も怖くなって、この「遊び」は2度としたことが無い。

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2004.01.22

所作に満ちている道

朝起きて、いつものようにリビングにいく途中、書斎のカーテンを開けて光を入れると外の景色を見る。私のいつもの所作になっている。窓の外に見える景色は毎日違っていて、一日として同じではない。
所作と思うようになったのはある日カーテンを開けていて、こうするのが習慣になっているなと感じたときからである。

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細かい動作が所作といわれている世界はたくさんある。お茶やお花をはじめ芸能武芸一般、宗教儀式から占法と、人の動きに係わる世界には全て存在している。つまり所作は、文化を成り立たせている一面なのである。
この所作が繰り返され、形や型として認識されるとそこに道が見えてくるのではないだろうか。たくさんの人がこの道を通り過ぎ、後から来る人がこの道を踏み外さなくなったとき、初めて人々はここに道があるというのだろう。
だから、どの道に入ってみても、その中は沢山の所作に満ちているのだと思う。どの道も多くの古人が思いを込めながら歩いて来たので、次第に所作が洗練され、こんなにも美しい型や形が生まれたのだと思う。
書斎に座って時折窓から外を眺めるのもいい。見るたびに景色が変わっていて、あるものは大きく、あるものは少しも変わっていないように変わっている。ここは一つ、ありのままに見過ごすことにしょうと思う。

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2004.01.21

井の頭文化園分園

井ノ頭通りをわたると前進座の前を横切り、すぐ西側の道を神田川の方に曲がった。人通りのほとんどない広い道をしばらく歩いて、突き当たりを右斜めに下ると夕焼け橋の下流に出る。
川の向こうには広い芝生が広がって、子供づれのお母さん達が幾組か見える。今日は少ない方だなと思う。
いつもの通り、ニレの木の間を通ってゴジラの木の下に出る。そばのサイカチの木の下を通って池ノ端を進む。地面ににょっきりと沢山の気根が連なって出ている落羽松のそばを抜け、葉のすっかり落ちたカツラの木の下を通り、地面すれすれに低く這っているサクラの木の根元をまたいだ。

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サクラの木が池に向かって倒れ込んできているので、この道もだんだん通りにくくなってきている。倒れ込み防止のため、支え工事もしょちゅう行われている。
しばらく進むと小さな狛江橋を渡たり中の島に出た。井の頭文化園分園の受付に人影を見て、久しぶりに今日は入ってみようと思った。
昨年買っておいたがほとんど使っていなかったパスポートを取り出すと、受付の若い女性に見せた。
園内に入ると左手に回り、池に突き出した円弧形の橋の上に出た。橋ノ上を進みながら、池の中から扇形に吹き出している噴水や、石作りの橋を見越して、井の頭弁財天の真っ赤に塗られたお宮を眺めた。

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円弧形の橋の内側には、昨年生まれた白鳥や鴨などが悠々と浮かんでいる。橋の途中から戻ると、舗装された園路に入るが落ち葉もなく、とても綺麗なのが目を引く。園路を横切って北岸に行くため「水辺の小径」に入る。
ムクノキの下を通り抜けるとすぐ水辺に出る。岸辺には近隣の小学校の生徒たちが植えた川柳の若木が育って、まだほんの少しだが葉が付いている。数メートル先には葦の生えた浮き島が浮かび、島の上に鴨が休んでいるのが見える。
岸に沿った小径の内側には数基のベンチが並んでいる。今ごろはほとんど人の気配が無い。ベンチに座り、浮き島を通して対岸を眺めていると、次第に気持ちが落ち着き、ここは 別世界を覗くことのできる秘密のスポットだということが分かってくる。
この辺りには、ミズキ、スギ、メタセコイア、アオキ、ツバキ、ヤツで、ヒサカキ、イイギリ、トベラ、カツラ、ラクウショウ、などの木々が植えられている。
文化園分園の門をを抜けると左側、池の岸辺の葉の落ちた木々の枝を通して対岸に、真っ赤な色が鮮やかな弁財天のお宮が迫る。

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岸辺にある植え込みのツツジの上に、数りんの狂い咲きの花があった。

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少し離れた梅林の下には、白い水仙の花が群れて咲いていた。

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まだ堅い蕾の梅林を左に見ながら進むと、お茶の水の前を通って坂を上る。賑やかなバス通りに出て右に曲がり、吉祥寺駅を目指した。パルコからサンマルク、ルーエから三越、吉祥寺図書館から石屋、と帰りのコースを描きながら歩いた。

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2004.01.20

「歌川模型」の思い出

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私の散歩道の中の吉祥寺コースは、チェリーナードを横切ることがある。チェリーナードの「とらや金子店」の先を右に駅に向かって曲がると、直ぐ右側に「歌川模型」がある。入り口に模型を飾った小さな小ウインドウのある「歌川模型」は、たくさんの人に思い出を与え続けてきている。
私が吉祥寺の住人だから、メーリングリストで「歌川模型」のご主人はお元気でしょうか、と聞かれるのも無理はない。

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もう一昨年になるが9月の半ば、「歌川模型」を訪れて元気なご主人と奥さんのお顔を見ることが出来た。ご主人がは、昭和25年(1950年)35歳の時に店に出られたそうである。それから「歌川模型」はもう50年以上も経っている。
私もここに足しげく通った時期があり、当時ヤミ市といったこの辺りの様子を思い出し、いろいろと昔話をして往時を懐かしんだ。ご主人の座っている反対側には、元気な奥さんの顔も見えた。

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昔の「歌川模型」は子供たちがいつも一杯であった。何しろ、工作の材料を探すところはここしかなかった時代であったし、簡単に手に入らないいろいろな品物がたくさんあった。新しい品物も先ずここにあった。宝物が一杯あって、それらを手に入れることが子供心を満たしてくれた。
「歌川模型」の写真を付けて、訪問記をメーリングリストに投稿すると、とても喜ばれた。この店の周りにはまだ古い店が残っているが、ほとんどのところが新しい経営者の店になっている。だが、ここが吉祥寺の中心の中心であることに変わりはない。

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2004.01.19

野方笑い地蔵尊

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今日は午後から野方に行った。何時もの喫茶店 Uncle に入って持参している本を読んだ。店を出るとすぐに横丁に入って、賑やかな通りに抜けるのが何時もの習いである。その途中に「野方笑い地蔵尊」がある。今日は目立って綺麗になっている。新しく大きい卍の紋のついた真っ赤な提灯が目を引く。卍の紋がついた紫の幕も真新しい。
予感もなく思いが浮かんだ。
筋違い道。筋違い道にお地蔵さんがある。道を筋と呼んでいるのはどこだろう。京都かな、いや違う、京都は烏丸通りだ。大阪かな、御堂筋、というのがあったな。江戸では筋向かいというが、通りの名前にはなかったと思う。
賑やかな通りに出ると果物屋、魚屋の声が懐かしく聞こえた。この通りを真っすぐに行くと西武新宿線の踏み切りである。

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2004.01.18

井の頭公園のアキニレ

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今朝庭に出てみると夜中に降った雪が僅かに残っていた。午後から井の頭公園に散歩に行く。
何時も見上げているアキニレの木に近づくと、梢にはもうすっかり葉が無くなっている筈だが、一見すると白い小さな葉のようなものが沢山ついている。よく見るとそれは白い実で、枝についたままで枯れているが分かる。
池ノ端を歩いてみるが、さすがに花は見つからない。鴨や鳩を眺めながら吉祥寺駅に向かう。駅の中を通り越してまだ仮屋根のままのサンロードのアーケードに入る。すぐ喫茶店 Excelsior Cafe に入った。3階の禁煙席はほぼ一杯であったが、窓側の一席に座ることが出来た。

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「本日のコーヒー」を飲んでいると、たちまち SF の世界に入り、思いが浮かんできた。「木の葉」である。
だいぶ前に行った屋久島で、縄文杉を触ったときのことがが目に浮かんできた。この木の生きている木質部は外側の数年分に過ぎない。中心に向かって数千年の木質部分は生きてはいない。数千年の遺跡に若い枝葉というごく最近の生命が取り巻いて、この縄文杉は存在しているのだと思う。
ちょうど人間の場合この遺跡に当て嵌まるものを考えてみると、それは脳であるかも知れないと思った。太古からの脳の上にごく最近の脳が乗って生きているのと、どこか似ているかも知れない。だが人間の場合、この太古の脳も生きているところが大違いである。
樹齢百年くらいの若い屋久杉を考えてみると、毎年生まれている葉は一年生き、樹皮は毎年生まれ変わり、幹や枝に増えた木質部分は年輪を形成して数年生きていると考えられる。中心の枯死した木質部は生きた木質部に囲まれて外部環境から守られ、また若年の樹皮と木質部分は木の中心の死した木質部によって強く支えられていると考えてもいいだろう。木質部は長いことその木の中心にあって若い枝葉を支え、やがてこの遺跡は人間に材木という名で取り出されて再利用されることがある。
このようなことを考えて、仮想森林の中を散歩していると、木の葉がとても新鮮に見えてくる。でも、木の葉の形や内部構造は、この木が誕生した頃とほとんど変わっていないのではないだろうか、この点ではこの木の葉は非常に古いのだと思えてくる。
仮想森林の中に迷い込んで旅をしていると、一体この私が何者なのか、この葉たちに私はどのように見られているのか、などと考えて反省してみたい気分に襲われる。
携帯電話の音がすごくみじかに聞こえ、だんだん大きくなって我に返る。電話の内容は、待ち合わせの時間が近いことを知らせてきたものであった。本をリュックに念入りにしまって、ゆっくり店を出た。

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2004.01.15

石原莞爾の書いた「満蒙問題私見」について

私は時々自分のパソコンの中のフォルダーを手当たり次第に開いてみることがある。一息入れている時など、ふと何が入っていたかなと気になる。

こうして、このファイルも見つけてしまった。若干手を入れてここに載せてみることにした。

偶然見つけた古い原稿

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先程、石原莞爾の書いた「満蒙問題私見」を読み、当時の日本人の動向を少しではあるが調てみた。この「私見」に「謀略により機会を作成し軍部主導となり国家を強引すること必ずしも困難にあらず」と書かれていることに注目し、私の考えを述べてみたい。

当時の日本は非対称の国民国家でした。つまり、必須系情報において日本国民は超極小の情報量しか与えられず、逆に超巨大量の市井娯楽系情報の洪水にみまわれ、政府権力機構のみ超極大の必須情報を保持している状況でした。

このことはどこの国においても支配者と被支配者の間で不変であり、それが不変に保たれているのは、被支配者の側に必須情報を必須とする動機が与えられていないからでしょう。

では必須情報を必須とする動機とはいったいなんでしょうか。その動機とは人が人を支配したいということでしょう。人が人を支配する道具は歴史的に変遷を経てきましたが、現在の道具は資本主義的資本であることに間違いはありません。

資本主義的資本がその力を充分に振るうことが出来るのは、資本家の個人的独立が充分に保証されていなければなりません。つまり、資本家のみが資本家になる、という道が確保されていることが必要なのであります。

この資本家が育っていく道が確保された国において初めて、資本はその増大に向けてまっしぐらに突き進むことが可能になるのです。自国民から資本をかき集めてなお足らなければ、他国にその矛先を向けることになりましょう。

資本の集積は非対称を生みます。つまり、情報操作と連動して多数の小資本を少数の大資本に纏めるところから始まり、一極集中に終わります。その結果、莫大な量の資本は少数の資本家に集まり、莫大な量の無資本家が生じることになって終わります。

問題は、この資本増大可能国の環境を資本が死守するところから始まり、自国民を他国民に比べて相対的に裕福な生活環境に置くことによって、自国の環境破壊を免れようとするように働くことにあります。

この結果は、裕福な国と中流意識の国民に対して、極貧の国と悲惨な国民が生ずることになります。そしてここでも問題なのは、この非対称の状況を裕福な国と国民が自国繁栄の好環境として、それを保持し続けようとすることでしょう。

このとき、この国を維持発展させるために粉骨砕身その任に当たる軍人に、出場する好機が与えられることになります。この場合、この環境を拡大して他国をも自国の環境に取り入れる行動をとるのは、軍人にとって歴史の必然といえるでしょう。

石原莞爾が「満蒙問題私見」で「謀略により機会を作成し軍部主導となり国家を強引すること必ずしも困難にあらず」と表明した大いなる自信は、歴史の必然を読み取り、軍人として従う道を見い出した、と思うところから生まれたものでしょう。

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少林一指禅

少林一指禅は気功であるが、私は立禅であるとも思っている。座って禅を行うのではなく、立って禅を行うからである。だが、少林一指禅は思いも及ばないところからその道が始まるのである。
気とはどのようなものなのか、私は長いこと探索を続けていた。ある時、本屋で目に留まった題名に心を引かれ、私は惑わずその本を手に取った。この時、少林一指禅の門をくぐていたのである。
少林一指禅の気功は精神を全く集中させない。その練功は、普段の通りに目を開いて、見えているものを見つづけて行うのである。精神集中も瞑想も一切行わないばかりではなく、行ってはいけないのである。
座禅、瞑想の全ては精神を集中させることから始められ、精神の集中で終わっている。座禅者、瞑想者が精神集中の結果到達する世界については、昔から様々に語り伝えられ、現在も語り加えられている。この世界は、日常世界に通ずる道からは断絶していると思われ、非日常の世界ととらえられている。

2003.09.30 12:51.JPG

私にとって、少林一指禅に巡り合ったことはこの上ない喜びであった。師から少林一指禅の説明を最初に聞いた時、私のためにあるのではないかと心が震えるほど感激したのを覚えている。ここに到達するまで、すでに9年を超える瞑想を続けていたが、気をまだ知ることが無かったからである。
少林一指禅の練功の経過は、身体のリラックスの状態が螺旋状に経過して深まって行く、と分かっている。
身体のリラックスというのは、自身で自身の身体の重さを感じることが出来てくることに表れ、立っている身体を支える骨格筋を残して、他の筋肉が身体の平衡を損なわない限度まで緩んでくることである。
このリラックスの度合いが深くなって行く過程は、身体の上部から始まり下部に向かって何度となく繰り返して進む。これが螺旋を描いてリラックスの高みに上がって行くことなのである。
上昇螺線は真上から見ると円を描いており、正に同じことの繰り返しであり、横から見ると下から上への昇っていくのである。
私はこの繰り返しに慣れるまでに何年も掛かっている。最初そのリラックスの強い痛みの波の間隔は週であり、日となり、時となり、今では気にならないほど早くなってきている。
少林一指禅を練功して気を知るようになると、今まで気付かなかったことも徐々に気付くようになってくるし、探求心も強くなってくる。探求心は、練功の最中に勿論奮ってはならないのである。
練功をしていない時に大いに探求心を満足させることが、今の私にとっての健康法の一つであると思い、毎日探求の旅を続けているのである。

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2004.01.13

野方の喫茶店

1月5日午後4時ころ、いつもどおり中央線中野駅からバスで野方に着くと、少し歩いて喫茶店に入った。店にきたのは今年になっては初めてである。小ぢんまりとした店に、この時間お客はいなかった。
私は私の生涯でただ一人の師匠を持っている。この世に生まれ育って、巡り合うことの出来た幸せをいつも噛みしめている。もう15年を越えて教えて頂いている。
私が喫茶店に入るのは、師匠をたずねる時刻に合わせて時間を費やすためで、長いこと習いになっている。また私にとって好きな本を読む貴重な時間でもある。店に入って一番手前の席に、通りに面して座るとブレンドを頼んだ。ガラスのドアーを通して、何となく外の道を目の片隅に入れているのが好きなのである。
愛用のザックにはいつも本を2冊くらい入れておき、読む時の気分でどちらかを選ぶようにしている。その日は少し堅い方の本を選んだ。コーヒーに砂糖は入れない。クリームだけである。30代と思われる女主人とはもう馴染みになっているが、特に話をしたことはない。その日にはもう一人、年増の女性がいた。
突然ドアーが開き、賑やかな笛と太鼓の音とともに人が店の中に真っすぐに入ってきた。すぐにヒョットコだと分かった。女主人に対して大きな手振りで踊っているヒョトコの後ろ姿が目の前にあった。
この街ではお正月の懐かしい行事がまだ残されているのだ、と私の心が和んでくるのが分かった。笛や太鼓の音は、私に子供のころの気分を瞬く間に呼び覚まさせてくれた。
2004.01.05 16:17.JPGザックからデジタルカメラを取り出すと、もう踊り終わってドアーの外に出ているヒョットコに向けた。すると笛吹役がヒョットコに声をかけてポーズを取ってくれた。続いてお獅子役が笛と太鼓に合わせて舞ながら店に入ってきた。お獅子がひと舞して出て行くと、今度は役員が入ってきて女主人と話をしていた。こうして祝い事は終わった。
私も暫くして外に出ると、だいぶ先の方の人だかりの中に、笛と太鼓の音が聞こえていた。この街には小さな店が軒を連ねていて、いつも人通りが絶えない。それにしても八百屋、魚屋、総菜屋、洋品店、花屋など同業の店が何軒もある。ひと目で同じ店が3軒くらい見えてしまう。ここに来るたびに、いつもそのことに気が付いて、私は不思議な気分に見舞われる。この日も充分にその気分を味わっていた。
師匠の家に行くのには、これから西武新宿線の踏み切りを渡って10分以上歩かなくてはならない。くもって少し薄暗くなった道を歩き始め、やがて踏み切りの遮断機が閉まる前の警告音が鳴り始め、だんだん音が大きくなってきた。踏み切りをわたると住宅街になって新青梅街道に出る。
今日はここまで。

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2004.01.11

おもしろい雲

2004.01.02 10:02.JPG

1月2日、私の家の近所を散歩している時ふと空を見見上げたら、そこには長大な面白い姿の雲があった。西の空の低い位置から天井やや北側を通って、東北の空低くまで達している薄い真綿状の雲である。他にも北から南東へなど、幾筋かの雲もあった。
今年は年の初めから天気が良くて何事も無かったが、この雲の出現は雲の下の人々に何事かを告げようとしているのだろうか、ふとそう思った。

2004.01.02 10:05.JPG

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2004.01.09

初めて記事を書く

2004.01.06 13_17.JPG 写真は1月6日に井の頭公園で撮影したアオキの実です。

 1月9日、初めて記事を書く。6日、井の頭公園に散歩に行った帰りに、吉祥寺駅北口にあるパルコブックセンター吉祥寺店で「ウエブログ スタート」デジビン・アスペクトという本を買った。
 7日、吉祥寺駅北口にある喫茶店でこの本を読み、8日に、ココログ、北国tv と、2っのブログサービスサイトの登録をインターネット上で済ませた。ココログは @nifty のサービスで、今まで支払っていた200円/1ヵ月に、50円上乗せの250円/1ヵ月、北国tvは無料である。そして9日、初めて記事を書くことになった。
 私がブログとの係わり始めたのは、2003年6月22日に BLOGGER で Cafe Musashino を作成して記事を書き、同時に Fotolog.net で kojimata's Fotolog を作成し写真をアップしたときからである。
 記事を書くのには常用のブラウザ safari を使っている。日本語文字コードは、環境設定でEUC とし表示ではデフォルトにしている。ここをこれ以外にすると文字化けが生じてしまう。「クイック投稿」も設定してみたが、 safari では投稿画面に文字化けが生じる。そこでIEにしてみたが、こちらでも文字化けが生じてしまう。
私のパソコンは Macintosh なので色々と不都合なことが起こっている。でも Macintosh が好きだから苦にならない。不都合を何とか克服していると、更に好きになってしまうから不思議である。

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