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2004.01.20

「歌川模型」の思い出

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私の散歩道の中の吉祥寺コースは、チェリーナードを横切ることがある。チェリーナードの「とらや金子店」の先を右に駅に向かって曲がると、直ぐ右側に「歌川模型」がある。入り口に模型を飾った小さな小ウインドウのある「歌川模型」は、たくさんの人に思い出を与え続けてきている。
私が吉祥寺の住人だから、メーリングリストで「歌川模型」のご主人はお元気でしょうか、と聞かれるのも無理はない。

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もう一昨年になるが9月の半ば、「歌川模型」を訪れて元気なご主人と奥さんのお顔を見ることが出来た。ご主人がは、昭和25年(1950年)35歳の時に店に出られたそうである。それから「歌川模型」はもう50年以上も経っている。
私もここに足しげく通った時期があり、当時ヤミ市といったこの辺りの様子を思い出し、いろいろと昔話をして往時を懐かしんだ。ご主人の座っている反対側には、元気な奥さんの顔も見えた。

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昔の「歌川模型」は子供たちがいつも一杯であった。何しろ、工作の材料を探すところはここしかなかった時代であったし、簡単に手に入らないいろいろな品物がたくさんあった。新しい品物も先ずここにあった。宝物が一杯あって、それらを手に入れることが子供心を満たしてくれた。
「歌川模型」の写真を付けて、訪問記をメーリングリストに投稿すると、とても喜ばれた。この店の周りにはまだ古い店が残っているが、ほとんどのところが新しい経営者の店になっている。だが、ここが吉祥寺の中心の中心であることに変わりはない。

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コメント

鈴木英一さん、コメントありがとうございます。おかげさまで私も昭和37年頃の吉祥寺の情景とお店の様子が、おぼろげながら蘇ってきました。ぜひ歌川模型店を訪れてみてください。きっと、おじさんおばさんが喜ぶと思います。
なお、記事の中の「とらや金子店」は、今年の2月1日から閉店になってしまいました。昔の店がどんどん無くなっています。

投稿: kojima | 2004.03.16 19:23

私は昭和37年の高校時代に歌川模型でアルバイトをしたことがあります。吉祥寺駅がまだ地上駅の時代で駅から降りてすぐの不二家のぺコチャン人形の脇の道を入って80m位進んだ所にあって、とにかく狭いところであったことを覚えています。写真を見て当時の記憶がよみがえりました。おじさん、おばさんの顔に昔の面影が残っています。当時はおばあさんと、小学生の娘二人と、よっちゃんという息子がいました。2階が住家で3階が模型の倉庫でした。自宅は吉祥寺の少し三鷹よりにありましたが、倉庫になっており、模型がぎっしり詰まっていたことを覚えています。
DT21のドロップフォージング製台車枠がボール箱にぎっしり詰まっていたり、ワム50000の出来立てのキットが中々売れずに山になっていましたが、当時扱っていた空気銃が結構売れていて、これが売れれば模型のx倍儲かるといっていました。特製品のD61やカワイC51などもありました。
久しぶりに見た模型店の写真で訪れたくなりました。もう45年も経過しているのに、昔のままの様子に驚きです。

投稿: 鈴木英一 | 2004.03.15 21:16

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