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2004.02.04

「敷居と閾値」をキーワードにして Google の通信路(パス)に乗る

2004.02.03 17:07.JPG

今日はネットの散歩に出てみることにした。谷中の散歩に出ていらい気になっている「敷居と閾値」をキーワードにして Google の通信路(パス)に乗った。
231の駅があるので、最初の駅 「めるがま「複雑系とビジネス」No.13〜敷居をまたぐ」 に降りてみることにした。
「閾値」は複雑系的に考えていくと、「カオスの縁」という例の魅惑的な言葉に思い当たる、と複雑系ビジネス研究会の会長・遠藤誠一郎は言っている。ここで途中下車して、このメルガマの購読者になりたいとマスターにメールを打つ。
この駅のホームの下の方にいくと大西宏氏のエッセイ( 「閾値(いきち)」の感覚 )と URL が掲げてある。途中下車していってみると、ここにも面白そうなエッセイが並んでいて、暇があったら読んでみたい誘惑にかられたが戻ってきた。
次の駅は 「松岡正剛の千夜千冊「パサージュ論」」 である。面白そうなので降りて見ることにした。
パサージュとは「移行」であって「街路」であって「通過点」である、と松岡正剛は言う。そして西洋にあって個ではなく集合に深い関心を示しているのは何かと問うている。そして、集団と個人との間の線引きを「敷居」(Schwelle) と呼び、 ファンタスマゴリ な閾値をともなう敷居である、という。途中下車してファンタスマゴリアに行って見たが、ここでも面白そうな紀行が愉しめそうだったが、またの機会に譲って戻ってきた。
松岡誠剛は続けていう、「しかし意外にもベンヤミンは敷居そのものではなく、また個人が敷居をまたぐ意識のことではなく、・・・・・・敷居を通過させるようにした装置そのものにのみ関心を注いだのである。」また「パサージュとは最初に書いておいたように、通過することだ。・・・・けれども、その行為はいずれは終わる。終わってどうなるかといえば、それはどこかに配列され布置される。それが都市というもので、社会というものなのである。」と
松岡正剛は結論に近づいて言う、「写真は近代社会がつくりだした最も劇的な配列と布置を記録する方法だった。」と。そして写真家が写真を撮ったときパサージュが起こったのだといい、写真を見たものにもパサージュが起こったのだと言う。だが、パサージュを忘れた者の意識の中ではそれは複製になってしまうのだ、とも付け加えている。
私は、松岡正剛のこのファイルを読む限り、亡命戦時者であるベンヤミンは、この世界を冷徹に読み解く努力を続けることによって、(途中下車をして訪れた 「ドイツの学生の光と影」ブルシェンシャフト に通過者の芽をみた。)亡命の無聊を慰めていたよう思えた。
今日は2番目の駅までであったが、この駅はこのあたりにして散歩を終わることにする。

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