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2004.02.02

敷居(しきい)と閾値(しきいち)

2004.02.01 15:00.JPG

谷中銀座の中華料理店で美味しい四川坦々麺を食べた。そこを出てからまもなく、狭い横丁に入って道なりに歩いた。だいぶ前から気になっていたことがはっきりと心に浮かんできて、そのことを考えながら歩いていると、瀟洒な喫茶店の前に出ていた。
心に浮かんできたのは、お寺の門にある敷居と閾値は同じイメージなのではないだろうか、読み方は「しきい」と「しきいち」または「いきち」である、という想いである。
こちらの領域からあちらの領域に渡るところに敷居があると考えると、閾値もまた敷居と同じように、その値を越すと新しい領域になることを示している、と考えられるのではないか。きっとそうに違いない、とまた歩きながら考え続けた。
ネットで敷居を検索して見ると、古くは室内で居る場所に敷いたもののことを言っていたらしい。それが室内を仕切るものに代ってきて、平安時代には御簾(みす)、几帳(きちょう)という敷居が室内に置かれて、男女の間を隔てる敷居になっていたという。
閾値は、その値以下では変化(反応)が起こらないが、その値を越えると変化(反応)が起こる場合のその値のことで、生物系、物理系の領域で主に使われている。閾値はこの値のところが敷居になっているように、私には思える。
(Threshold dose) を閾値と翻訳したのは名訳なのか迷訳なのか、また謎訳なのか、私にはよく分からない。
お寺の門には必ず敷居がある。そして人は敷居を何度もよく跨ぐ。またこの間まで我々が一般に住んでいた日本家屋では、家に入るとき玄関の敷居を必ず跨いでいた。人は毎日のように敷居を跨いでいたのである。
敷居、閾値はそればかりではく、動いているところ必ず変化の敷居があり、変化するところ必ず閾値があると考えると、無数にあるといえる。
人は毎日たくさんの敷居、閾値を何気なく跨ぐことで生活している。そう考えると最近我が家が取り入れたバリアフリーの部屋も、一つ二つのバリアーを無くしたくらいで敷居が無くなったと考えることもない、と思えるようになった。

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