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2004年3月の記事

2004.03.31

神代植物公園で神代曙(ジンダイアケボノ)を観る

12004.03.31 13:34.JPG

神代植物公園 へは午後1時前に着いた。朝から晴れて明るかった空は、お昼ごろになるとすっかりと雲に覆われ、花曇りの様相を呈していた。
門を入ると直ぐ左に曲がり、植物会館展示室で行われている「すみれ展」を見に行く。会場にはたくさんのスミレの鉢が所狭しと並んでいる。協賛している日本スミレ研究会の会員の方が、質問に丁寧に説明をしている。スミレを愛する人には無料でスミレの種を分けてくれる。
展示室をでると、花屋の前を通り過ぎてまもなく左手にソメイヨシノの大木が花に覆われているのを見る。近づくと低く伸びている枝から空高く伸びている枝まで、びっしりと満開の花が美しい。花見客のほとんどはカメラを構えている。そぞろ歩きの花見客を合わせても、一つの人の群れには20人くらいの人がいるだけで、ゆっくりと花を愛でることが出来る。この辺りに来ると空も明るくなっていて、日の光の中で桜の花がいっそう輝いている。

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2004.03.30

「体の中の原始信号」を読む-16

2004.03.30 09:52.JPG

第3章5「金属イオン差で経絡の流れを知る」では、「鍼の材質の影響」において、ヨーロッパ系の鍼灸の歴史の中から、間中喜雄博士が金属のイオン効果を検出する実験方法を立てるまでに至った経緯と、その実験結果を記して、「金属の相違による効果の差は認められなかった。」としている。
次に著者達は「金属のイオン差がカギを握る」において、イオン効果を検出する実験をさらにいろいろ試みていくうちに奇異な現象に出会い、「経絡の流れ」に関して、古典に表されている経絡の流れの方向が、イオン化傾向と関係していることをみいだしている。

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日刊ココログ・ガイドで紹介されました

@nifty の「日刊ココログ・ガイド」で当サイトとが紹介されました。
2004.03.30 in 映画・テレビ
Promenade Musashino
http://musashino.wey-nifty.com/promenade_musashino/
武蔵野を散歩しながら写真を撮り、さまざまなことに想
いを馳せる kojima さん。自然の中を歩きながら、イン
ターネットから易まで思考を広げていきます。

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2004.03.29

「体の中の原始信号」を読む-15

2004.03.29 16:44.JPG

第3章5「身体の部位の陰陽とその対立性を知る」では、「磁気の作用」にまず注目してみたい。磁気ネックレスなどの流行にふれたのち、著者達はいう。「しかし、もし磁気の南北(SN)を別々に、あるいは一定の序列をもって接触してみると、そこに法則があることがわかるであろう。」
続いて、「鍼灸学においては、左右、腹背、上下をそれぞれ「陰陽」に区別し、これらはエネルギー的な相対性を有するとして、治療パターンにこれを利用する。」といい、磁石による実験においてこの相対性を利用したパターンを実証し、「この程度の刺激ともいえない影響を利用しても、バランスを調整することが出来るわけである。」としている。

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2004.03.28

井の頭公園のお花見ルートを散歩する

2004.03.28 12:32_1.JPG

井の頭通りにある前進座の横を曲がってしばらく歩き、神田川のほとりに出ると源流に向かって遡った。よく晴れて日差しがまぶしいが熱くはない。今日は花見日和である。丁度2ヶ月前の1月28日、井の頭公園を散歩して 「井の頭公園の冬のサクラ」 をエントリーしているので、併せてご覧いただきたい。

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2004.03.27

「体の中の原始信号」を読む-14

2004.03.27 12:51.JPG

第3章4「身体と時間」では、「中国医学とバイオリズム」を注目してみたい。著者達はいう。「中国医学の古典は、季節や一日の天地の運行と身体のリズムの変化の関係がかなり詳しく書かれている。」
そして、二千数百年前に書かれた中国医学書としては最古の「黄帝内経」の中の「素問」を引用して、すでにバイオリズムを使いこなしていたのであるとしている。

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2004.03.26

起動パーティションの引っ越しを行う

最近、私のMacの処理速度が落ちストレスも限界に達したので、いつものように Mac OS の起動パーティションを引っ越すことにした。
そのために 40GB ばかりの空きパーティションを AQA 1000 という名前で作り、あらかじめ MacOSX 10.2 をインストールしてある。

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2004.03.25

EGBRIDGE 14 とMacintosh G5

2004.03.25 09:05.JPG

私は日本語変換ソフトに長い間 ATOK を使っていて、部分確定に慣れ親しんでいた。だが、Macintosh にヒラギノフォントが付いてきてから、その文字の美しさに引かれて 日本語変換ソフトを EGBRIDGE 13 に変更することにした。しかし、文字入力で部分確定をすることは出来なかった。

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2004.03.24

「非常災害時マニュアル」を作成してなかった

2004.03.24 12:59.JPG

今日は久しぶりに散歩に出て喫茶店に寄った。散歩に出るのは3日ぶりである。あしかけ3日もクラッシュしたパソコンの復旧に費やしてしまっていたのである。復旧するのに時間がかかったのは、しばらくクラッシュしていなかったので復旧の仕方を忘れてしまっていたことにもあった。

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2004.03.21

視界内の映像の消失と道と敷居

明け方目を覚ました時、ぼんやりとした視界の中になにかが現れていた。
よく見ると、それは小さなやや赤い色の明るい窓のようなものであった。いつものことなので無視しようとした時、ふと思いが浮かんできた。これは敷居なのではないか、この敷居をまたぐと次に続く道が見えるかもしれないと思ったのである。

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2004.03.20

「体の中の原始信号」を読む-13

2004.03.19 14:00.JPG

第3章3「身体と音響」では、「皮膚が言葉を聞く」のところで、六字訣が取り上げられている。著者達が各国人に試したところ六字は中国語であるがすべての人に通用したので、少なくとも皮膚が音を弁別していることは分かったとしている。

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2004.03.19

「体の中の原始信号」を読む-12

2004.03.19 12:51.JPG

第3章2「皮膚は色を識別する」においては、「五行の色体と経穴」に注目したい。
「五行説では色も次のとおり五行に配当されている。木ー青、火ー赤、土ー黄、金ー白、水ー黒。不思議なことに、この五行の色体に述べられているように、陰経の井穴(木穴)に対しては青、栄穴(火穴)に対しては赤、兪穴(土穴)に対しては黄色のピラミッド(注・いろいろな色に着色されたガラス製のピラミッドのこと)がその圧痛を消去しうることが認められた。」

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2004.03.18

「体の中の原始信号」を読む-11

2004.03.10 15:38.JPG

第3章1「五行説と合致していたツボの性質」において、まず取り上げられているのは「天地五つの要素」である。
著者達はいう。「中国医学の古典に記載されている本治法の運用法には、陰陽五行説から演繹された用法があり、これは取穴法(ツボを選ぶ方法)とその刺鍼法を考えるうえで従来非常に重視されてきた。」

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2004.03.17

「体の中の原始信号」を読む-10

2004.03.12 16:52.JPG

いよいよ第三章「X-信号系は存在するか?」に入った。私が大いに期待しているミステリーゾーンである。

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2004.03.16

「体の中の原始信号」を読む-09

2004.03.16 14_35.JPG

第二章5「原始的な信号系の残存」では、ベルギーのリエージュ大学生化学教授、E・スコフェニル、紀州出身の学者、南方熊楠にふれながら次のように述べている。
「人間は粘菌よりはるかに進化した生物である。進化の過程で、はるかに複雑な信号系、オートメーションシステムを獲得した。であるから、現在人間の制御系といえば、高度に発達した神経系とか内分泌系等を問題にする。しかしかって先祖が持っていた原始的、単純な「制御系」は跡形もなく消失してしまったのであろうか。」

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2004.03.15

「体の中の原始信号」を読む-08

2004.03.15 19:00.JPG

第二章4「信号効果の特異性」では、重要な指摘がなされていると思う。それは「鍼灸で行っているようなデリケートな手技を弁別するようなシステムこそ、人間の身体に遺体制(rudimental biological system)として残っている「原始的信号系」ではないか、と私どもは考える。」としていることである。
つづけて、「私どもはこの未知のシステムを「Xー信号系」と名づけた。もちろん、こういう原始的信号系が存在することはいまだ仮説にすぎないが、後の章で列挙するような検証でその存在を示唆することが出来ると考える。」としている。
また、刺激作用と信号作用についての違いにふれ、刺激作用はその効果に累積作用があるが、信号作用は一見矛盾した効果が現れたり、作用方向に変化が見られるなど、刺激作用とは異質な効果であると述べている。
そして、「残念ながら、現代における鍼灸研究の関心事は神経系に対する刺激とその反応に集中されている。「X−信号系」の存在の可能性すら話題に上がらない。」と現況を嘆いている。
私の観点にしたがって考えてみたい。まず「原始的信号系」が遺体制であるというのは、著者達が最初から遺体制としての「原始的信号系」を考えていたからなのではないだろうか。著者達が仮説にすぎないという「原始的信号系」、名づけて「X−信号系」という系は、現実に存在して働き続けている系である、と私は考える。
鍼灸の研究ばかりではなく西洋医学的な研究方法は、著者達の言うように刺激を数量的にとらえて解析をする方法がほとんどである、と私も思う。刺激ではなく信号によって人間の制御・統制系が調整されているという著者達の観点は、「原始的信号系」という遺体制に留まっているとは言え、東洋医学の卓越した研究方法の神髄を突いているものだと、私は思う。
今日はここまで。

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2004.03.14

「体の中の原始信号」を読む-07

2004.03.14 12:19.JPG

第二章3「生体の二つの系」では、東大医学部心療内科の石川中が述べたことを引用している。
「生体には、二つの系がある。一つはエネルギー系で、他の一つは情報系である。エネルギー系は、身体の本来の活動に関する系である。筋肉の運動、血行、呼吸、消化等の機能をなす系で、生体のエネルギーの大部分はこの系で作り出され、消費されている。一方このエネルギー系を制御・統制する系が情報系である。エネルギー系の活動状態を刻々知り、これを適正な範囲に置き、最も効率良くこれを運用せしめるのに必要な系である。これに必要なエネルギーは前者に比べ、かなり少ない。自律神経系・内分泌系(神経内分泌系)等はこれに属する。」
そして、中国の伝統医術である鍼灸は、考えて見ると、生体のエネルギー系を直接の対象とせず、むしろ情報系に干渉を与えるという方向にいろいろの工夫を凝らした治療法である、としている。
更に、鍼灸が従来、西洋医学に理解されなかった大きな理由は、見かけの上で非常に微小な刺激がなぜそんなに大きな効果を生むのかというメカニズムがわからなかったからであろうとして、逆に言えば、今まで西洋医学は、情報系の制御という大切な可能性を十分考慮してこなかったということでもある、としている。
私の観点にしたがってここで考えて見たい。まずここで言う情報系を確認してみると、著者達は、情報系はエネルギー系を制御・統制するためのかなり少ないエネルギーを使った系であり、非常に微小な刺激によって干渉を受ける、としていることがわかる。
この生体のエネルギー系というのは、身体の本来の活動に関する系であるから、そもそもこの系が作り出されたとき、その統御系としてこの情報系が既に働いて作り出されている、と考えなければならない。つまり、統御の機能は統御される機能と同時に作り出されていなければならない、と私は考える。
この統制・統御する情報系は本来エネルギー系が活動中にその役割を果たし続けていなければならないのであるが、何らかの理由で役割が果たせなくなった場合には、当然生体のエネルギー系の機能に不調和が生ずることによって警告が発せられることになるのは、著者達が例を幾つか挙げている通りであると私も思う。
ここで問題となるのは、エネルギーと情報の両系の具体的な関連に関する事実についてである。これらの事実は今のところ十二分に集積されているとは言えないうえ、事実間の関係性を統一的に説明しているのは、著者達がいう通り中国の伝統的医術のみだと私も思う。
今日はここまで。

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2004.03.13

庭の関西嫁菜を摘んで嫁菜ご飯を作る

2004.03.13 16:22.JPG

今日は、ベランダで育てている関西嫁菜の芽を摘んで、夕食に嫁菜ご飯を作った。嫁菜の芽の具合を観察していて、いつ摘もうか悩んでいたのだが午後になって摘むことにしたのだ。

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昨年は、3月30日に初めて、その半月後の4月11日にも家の庭で育てた関東嫁菜で嫁菜ご飯を作って食べた。その嫁菜は、前の年の平成14年3月に善福寺公園から移植した関東嫁菜である。続いて4月23日には、家の庭で育てた関西嫁菜で嫁菜ご飯を作って食べた。この嫁菜も平成14年の3月に、中野区野方にある「嫁菜の花美術館」主宰の三田恭子さんから譲って頂いた、名古屋地方の関西嫁菜である。

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期待に胸を膨らませて頂いた嫁菜ご飯は春の味がした。サリサリと微かな音がして仄かな甘い香りが漂う。食べ終わってしまうのがとても惜しい。癖などは全くなく野草とは思えない。これはとても美味しい野菜であると思う。なぜ野菜として栽培してこなかったのだろうかと考えてみたが、あまりにも癖がないからなのか、俄には分からない。

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昔、若草山の野に出て若菜を摘み、春の初めての緑を、こんな風にご飯に炊き込んで頂いたときの嬉しさが、とてもよく想像できる。
私も子供の頃に食べた嫁菜ご飯の味が、春になると思い出されてくる。その嫁菜が見つからなくなって、長年のあいだ探していた。やっと一昨年、手に入れたので家で育てることにして、もう2年目の春の嫁菜ご飯を頂くことになったのである。

2004.03.13 16:26.JPG

今年は関西嫁菜の方を先に摘んだ。摘み慣れてきたので関西嫁菜ももう一回摘んで見るつもりである。関東嫁菜の芽の方はまだ小さいが、去年二回摘んだので今年は大いに楽しみにしている。

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2004.03.12

「体の中の原始信号」を読む-06

2004.03.12 16:53.JPG

第2章2「暗号解読の鍵は何か」において、まず、鍼灸治療は中国から伝来した伝統医学であって、その医学的理論を古典によって学ぼうとすると、その記述や概念に理解しがたいものが甚だ多いという。
中国において、多くの技術者達が貴重な体験を積み重ねた結果について、彼らなりにその体系を記述し文献を残しているが、その言葉は現代語ではなく、かつ技術独特の用語が多いので、その意味を理解できない現代人にとっては、あるいは一種の暗号であるとしている。
著者達はここに、古典鍼灸術のうちで多くの人が見逃している、暗号解読のための大切な要件を指摘する。として次のように述べている。
「人間の身体には、その種族発生の早い時期に成立していた「原始的信号系」が残存している。その後、重層的に発達した複雑な信号系、オートメーション・システム網のうちに埋没して、その存在は明瞭ではない。しかしこの微細な内外の情報を鋭敏に感受し、弁別し、遠隔的に伝え、生態の調整に役立っているシステムこそ、鍼灸のモーダスオペランディ(運用法)に重要な役割を演ずるものではないか。」
私はここで私の観点にしたがって考えてみたい。まず著者達によるこの指摘の意味するところを確認してみる。人間の身体に既に内在している通信系を前提にしなければならないこと、その後この通信系が発達したことは間違いないがその存在は不明瞭であること、この通信系を駆使しているシステムこそが鍼灸術の運用に役立つこととし、このシステムの解明を暗号の解読として予告していること、などである。
この唐突ともいえる指摘は、著者達の研究において到達した結論を要件という形で指摘したもの、と考えられる。私の観点にしたがえば、「原始的信号系」の残存というのは、原始的生物との類推からのことであって、人間がそれらの原始的生物を内包している存在であるこが考慮されていないように思える。
脳の成り立ちから考えても、また細胞自体が生命体の複合であることを考えても、通常の意味での残存などではないと考えられる。つまり、現実に機能している通信系の信号であると考えて差し支えないと思うのである。
今日はここまで。

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2004.03.11

「体の中の原始信号」を読む-05

2004.03.10 16:08.JPG

第2章「X-信号系の予感」において注目すべきところは、1「鍼灸医術における経絡現象」である。ここでは間中博士の提唱から重要な示唆が得られる。
「経絡の有無をただ論じても無意味である。そもそも中国人は、ある現象を認めてそれを説明する目的でこの言葉を作ったのであろう。人間の身体が今も昔も同じなら、そういう現象は現在でもあるに相違ない。これを仮に「経絡現象」と呼ぼう。これを尋究して、そのうえで、これを経絡と呼ぶべきかどうか改めて研究すべきではないか。」
そのご、日本での経絡現象についての研究成果を経て、中国で広範な研究が行われ、経絡現象に関する多く報告がなされている。しかしながら、現代の日本では経絡現象を積極的に治療に取り入れている鍼灸家は、多くない。それはなぜだろうか。と著者はいう。
私はここで私の観点にしたがって考えてみたい。経絡の有無については、著者の言う通りだと思う。広範かつ緻密な観察の結果認められた現象を、その再現性に基づいて記述していったものと思う。そのご世代を経るにしたがって、この現象の総体を統一的に説明する目的でこの言葉を作ったと考えるのは、誠に当を得ていると思う。
生命体が、その生命を幾世代ものあいだ世代交代を続けて維持継続しているという事実から考えてみよう。その意志を貫き通す通信手段と方法を原初から所持している細胞から成る生命体であるのだから、身体のあらゆる部分が身体全体を表現し、身体全体は身体のあらゆる部分に宿ることになるのは必定である、と私は思う。つまり、身体のどの部分も基本的に通信手段と方法を持っている細胞から成っているからである。
今日はここまで。

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2004.03.10

「体の中の原始信号」を読む-04

2004.03.10 16:09.JPG

第1章で次に注目したのは、5「信号の伝達を指で知る」である。「新しい診断システムとしての Oーリングテスト」として、大村惠昭の「バイ・デジタル Oーリングテスト」という診断方法をを紹介している。
この診断法は、被験者に手の二指で O 型の輪を作らせ、験者が二指をその輪に差し入れて開放しようとする時の抵抗の差をもって行う検査方法を考察し、名づけたものである。
そしてこの検査方法を用いて明らかにされた一見不可解な現象を記載し、診断点に存在している極微量の変化を指で受ける時、その変化も極微量の何ものかであるが、客観的に認知できる程度の変化を起こしている、としている。
さらに「O リングテストで薬剤適用を判断する」ことが出来ると、広く現代医学の領域にも応用可能な一つの新しい診断システムを提唱していることも紹介している。これらの不思議ともいえる現象を説明するのは容易ではないが、むかしの鍼灸家の方が、これらについてよく観察し、かつ治療に応用していたようであると、中国の古典に深甚なる評価をしている。
私はここで私なりの観点から信号について考えてみたい。著者は、何を介して信号が伝達されたかは分からないとしながらも、神経系の介在は必要条件ではないことは明らかであるとしている。
信号について論ずる場合には、その信号とは何ものなのかが信号の送受信者のあいだで分かっている、ということが前提である。信号の送受信者のあいだで信号が信号であると認知されるためには、信号が送られる前に、既に或る意志の存在に基づいた情報が作られていて、その意志ないしは情報を伝える信号になっていなければならない。つまり信号は送り手と受け手とのあいだで、送受信の前に既に了解されていなければならない、ということに注意する必要がある。
そこで、何らかの伝達路が介在して伝達路特有の信号が流れることになるが、この第1章ではまず、信号が存在していること自体に着目していることになる。
生体の送受信している信号は、一つの細胞から多細胞になっていった時に基本的に使われている通信系で、情報を伝える信号として生じ発達してきたものと私は考えている。
信号が伝えようとしている情報が何か分からないという場合には、情報の受け手が情報を読み取れない場合もあれば、第3者の立場からその情報を知りたいが読み取れないなどの場合があるので、その区別をしなければならないと思う。
今日はここまで。

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2004.03.09

「体の中の原始信号」を読む-03

2004.03.09 13_10.JPG

第1章「微小な刺激あるいは信号に秘められた力」で注目するところは、4「薬のもう一つの側面」である。この中で、「自然界の信号」としてブドウ酒の鑑定家の能力、警察犬の能力、オキナワミバエとフェロモンの濃度などにふれ、信号系(情報系)は「物質量」が極微量のレベルで作動していると考えてよい、いろいろの事実があるとしている。
また、「ホメオパシーの不可解な現象」として通常のアロパシーに対し、投与薬物の極微量の不可解な希釈度について述べている。そしてホメオパシー的思考が正統医学側からは認められていないが、正統医学の周辺でまだ未解決な問題が存在するという示唆は受けよう、としている。
著者はまた、こういう微小の世界、古代の中国的表現では「気」と呼んでいる世界も、未知ではあっても無ではないと考えて研究すべき分野であろう、とも言っている。
私はここでも私なりの観点を付け加えてみたい。それは生物の全体をそのうちに収めている一つの細胞が、分裂を繰り返して多細胞になっていく過程で、すでにここでいう「信号系」は使われているに違いないということである。つまり最初から信号系が存在しているという観点である。
存在自体に内蔵されている「働き」に「Y-信号系」と、私は名付けてみたい。一つの細胞が増殖して多細胞になっていく過程で働く信号系は、そもそも信号によって働くことが予定されているところにその奥義があり、働くこと自体に内蔵されているといえる。
今日はここまで。

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2004.03.08

「体の中の原始信号」を読む-02

2004.03.08 13:43.JPG

序章の見出しは「生物の未知のシステム」となっている。ここで著者は、私たちの体の細胞の一つ一つが想像を絶する知性を持っていると考えられるという。そして自然界を眺める観点を「三十億年の記憶」として提示している。
もう一つの観点は、アメリカの脳外科医カール・プリブラムによって提唱された「脳のホログラフィー理論」が指し示すホログラム的見方である。この、「部分のうちに全体がある」という見方は、中国医学においては昔から言わず語らずのうちに利用されてきたとして、耳鍼法、手指鍼法、頭鍼法、面鍼法などを挙げている。
更に、脳を一つのホログラムととらえる時、人間の脳そのものがこの地球のホログラムかもしれない、体の細胞の一つ一つが地球全体を投影していると考えることも出来るかもしれない、とそこに大きな可能性があることも提示している。また中国医学では天体の運行と疾病現象の関連について詳細な観察がなされ、その成果が古典的な法則に示されている。著者は、このことは極めて合理的であると考える、としている。
このような、人体をはじめ自然界に多く存在する未知のシステムを解く鍵は、「信号システム」であるという仮説を著者は立て、「X-信号系」と名付けている。そして本書で「X-信号系」の存在を様々な角度から確認することに努め、これをさらに追究していくと、身体と宇宙とは何らかの信号系で連動している可能性が見えてくるのではないか、としている。
私はここで私なりの観点を一つ加えてみたい。それは細胞が増殖することについてである。ここで使われている用語を用いるなら、「システム」がシステムを増殖し続けるということと、更にシステムのうちわずかな部分が発現していて、巨大な部分が未発現な形で存在しているということが、生物の明らかな特徴であるということである。
今日はここまで。

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2004.03.07

「体の中の原始信号」を読む-01

2004.03.02 15:49.JPG

「体の中の原始信号」(中国医学とX-信号系)間中喜雄・板谷和子・地湧社1990年2月25日初版発行を再読し始める前に、間中喜雄先生について述べてみよう。
私が 間中喜雄先生を知ったのはかなり昔のことである。箱根の宿に宿泊した時に呼んだマッサージ師に、耳針を貰ったことがあった。そのとき、自分はこの本で勉強しているといって紹介してくれた雑誌があった。「医道の日本」という月刊誌である。
「医道の日本」は薄い雑誌であったが、素人の私が読んでもとても面白い内容であった。すぐに定期購読者となってしばらく過ぎた頃、私の漢方医学の探求心に火をつけることになった人の中に、間中喜雄という人の記事があった。西洋医学の世界に育ったにもかかわらず、漢方医学に対する探求心は並外れている医学博士であった。
それから、間中喜雄先生が書かれた本を次々に読んで、すっかりフアンになったのである。でも私は一度も先生にお目にかかったことは無い。
間中喜雄先生は1989年11月20日78歳で永眠されてしまったが、残された素晴らしい著書達は永遠の生命を持ち続けると私は思っている。
今日はここまでとし、次から「体の中の原始信号」を読むことにしよう。

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2004.03.06

光ファイバーと道と敷居

2004.03.02 15:32.JPG

敷居について探求の旅に出て、色々な道を通って易にまで辿り着いた。インターネットを楽しんでいても深く気にしていなかったが、意味のある信号としての情報は全て道を通って行き来している。情報は空中を電磁波に乗って飛んでもいるのだが、道に似ているファイバーで考えてみたい。
金属の線を道として、その中を信号が電圧の高低となって流れているというのが分かりやすい例えである。動くものがあれば動いた後を道というように、道は後から自分と同じものが続いてくることを予想しているともいえる。たくさんの同じものが通り過ぎると、道が完成されたという。だからものが動けばその後には必ず道が残るのである。
金属の線から光ファイバーとなり、その中を電子の代わりに光子が通り過ぎている。道の中を通っているものに違いがあるとすれば、高速道路の中を自動車が走るのとは違って、光子は前を走っている光子を追い抜いたりはしない。出発した時の順序は最後まで厳密に守られているのである。
光子は旅人の年齢に似ていて年齢を追い越すことは出来ない。また光ファイバーは高速道路よりも鉄道のレールウエイの方に似ているのである。
しかし、光子の集団である信号の旅人は早い信号もあれば遅い信号もあって、結果的に信号としての旅人は別の信号に追い抜かれることもあるが、追い抜かれたからといって追い返すことは絶対に無い。
だから、電車同士は追い抜かないが、旅人同士はタクシーのように追い抜くこともあるという、ややこしいことになっていているのである。
仮想電子空間といって、インターネット空間のことを私は友人に説明しているが、光子が走っている空間としては現実空間であることに間違いはないと思う。光子が走っている現実空間の道である光ファイバーは、だから現実の道なのである。
そして敷居であるが、至る所に設けられているゲートとして、それは存在していると私は思う。
時間が来たので、つづきはまたにしよう。

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2004.03.05

散歩の途中で「原種コーム シクラメン」を買う

2004.03.05 21:53.JPG

井の頭公園に散歩に行く途中で、先日見てから気になっていたシクラメンを買いに花屋に寄った。スミレのようなシクラメンは浅い箱に入ってまだたくさんあった。
店の人に聞くと、原種のシクラメンなので庭でも育つが、草に負けてそのうちに無くなってしまうから、鉢植えがいいですよという。背丈も伸びずにこのままだというので、花が終わって元気な葉の茂っている一鉢を買った。ラベルが付いていて、原種コーム シクラメンと書いてある。
家には今、足掛け4年育てているミニシクラメンがある。花の盛りは過ぎて花の量は三分の一になったが、まだ花芽も出てきている。昨年は6月まで花が咲いていたので、だいぶ楽しめそうである。
このところ、豆盆栽級の植物を居間の飾り棚に置いてみようかな、と探していたところであった。花屋でこのシクラメンの花を見たとき、ユキノシタの葉に似たスミレの花だと思ったのである。
家に帰って早速ネットで検索してみたところ、原種シクラメンは少なくとも3種類はあるらしい。その中でも一番丈夫なシクラメンだそうである。日本の山野草と一緒に植えて楽しんでいる人もいるようだし、育て易いところが私には良い。大いに楽しめそうである。

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2004.03.04

隅田川の散歩と隅田川の名前の由来

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昨日、墨田区の隅田川の辺りを散歩した。吉祥寺から東西線に乗り浅草橋に降り、都営浅草線に乗り換えて本所吾妻橋で下車した。外にでると薄曇りの空の下を「すみだ郷土文化資料館」を探しながら歩いた。8分くらい歩くと赤い煉瓦の瀟洒な資料館に着いた。
この資料館の2階に、「墨堤のにぎわい」がジオラマで再現されている。「墨田区」を表現したパネルには隅田川の文字のほかに墨田川、角田川、住田川、洲田川などの文字があり、非常に興味をそそられた。
墨堤は短い区間に区切れて、小公園風に整備されて幾つかあったが、立ち寄っている人はほとんど見かけなかった。だいたい高速道路の下になっている。
またこの辺りは夏に花火が打ち上げられるところでもある。川べりの散歩と思って出かけてきたが、キリンビールの金色のビルの近くで、わずかに隅田川の風に当たることが出来た。これだけで満足しなければならなかった。
巨大なキリンビールの金の泡を見ながら帰路についた。
帰宅してから、気になっている「すみだがわ」の名前の由来をネットで探索してみた。
私は隅田川の名前についてまず調べた。隅田川の名前の由来を丹念に調べたサイト 「隅田川の由来」 は、名前がじつに転々としていたことを記録している。
隅田川には現在も新しい橋が作られているが、昔からの橋に詳しいサイト、 「隅田川」 は「隅田川の橋」を写真入りで紹介している。昭和40年に正式に隅田川という名称になったそうである。
隅田川を総合的に説明しているサイトとして 「隅田川」 はメニューの内容が充実している。隅田川の流域人口は620万人だそうである。
墨田区が自ら、「墨田区の「墨」と隅田川の「隅」の字がどうして違うの」と、区にきた問い合わせに答えているサイト 「すみだ区報」 では、
「昔から広く親しまれてきたすみだ川の堤の名称「墨堤」と、最も多く使われ親しまれていた「隅田川」の字から、1文字ずつ取って「墨田区」と決めました。」、と答えている。
墨田区自ら、墨田区の歴史を原始・古代から2003年まで手短に紹介しているサイト 「すみだが歩んだ歴史 墨田区の誕生から、いまをたどる」 も簡明な隅田川の紹介を楽しめる。
最後に墨田区の地名にまつわる話が楽しめるサイト 「墨田区の地名」 を紹介する。名高い両国橋は明暦年間の本所開拓の際に架けられたそうである。

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2004.03.03

雲取山の四季-1

雲取山登山で受けた凍傷が完治してからどのくらい経っていただろうか。私は再び雲取山に登った。最初に登った通りのコースをたどって独りで登ったのである。四季のうちどの季節であったかはよく覚えていない。
覚えていることは鎌仙人がとても優しかったことである。泊めてもらってたくさん話したが、どんな話したかよく覚えていない。だが鎌仙人から聞いた話で、ひとつだけ覚えていることがある。鎌仙人が若い頃には、朝早く雲取小屋を出て山を下って東京まで歩いていき、用事を済ませると夕方には雲取小屋まで帰ってきていたというのである。東京というのはどこであったのか、今では思い出せない。
私が帰るときになって鎌仙人が、一緒に下ろう、といって私を三條鉱泉のコースに案内してくれた。鎌仙人は長身で軽々と山を歩いた。私は鎌仙人の後について歩いたが、風のように軽くとても温かい気分で歩いていたことを覚えている。
三條鉱泉の湯船は木で出来ていて深かった。木の湯船の中で湯は、透明な深い水の色をたたえていた。鎌仙人と一緒に私も湯に浸かった。鎌仙人の肌の色は白く、筋肉を触っても普通の人と同じように柔らかだった。むしろ弱々しいほどの優男の肌ように思えた。硬い筋肉が当然と思っていたので私にはとても不思議であった。
風呂から上がると一休みし、鎌仙人とはここで別れて私はまた独りで帰路についた。
これが鎌仙人と私が一緒に過ごした唯一の思い出である。

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2004.03.02

雲取山登山で受けた凍傷の克服記-6

凍傷を受けてから相当の月日が経って、水泡の皮膚を取り除く日がきた。徐々に全ての古い皮膚が除かれると、その下に赤子のように柔らかくて薄い皮膚が新生していた。指先の古くて堅い皮膚は、爪ごと指サックを取り外すようにスッポリと抜け、踵は踵の形のまま大きく靴を脱ぐように脱げた。現れたピンクの柔らかくて薄い皮膚の上には指紋も全て元のままについていて、どこにも何の傷跡もない。今でも私の手足の指と踵には、凍傷の痕跡などは全く見られない。
取り除かれた古い皮膚は足の踵が一番厚く、5mm以上もあった。そして今も私の踵の皮膚はたいして厚くなってはいない。
夜寝ている床の中で、新生した皮膚が布団に触れて痛い日が続いたが、次第に気にならなくなっていった。それとともに他のことにも注意を払って日を過ごすことが出来るようになっていった。更に月日が経つと、もう凍傷のことなどすっかりと忘れている自分にも、気付かなくなっていた。
こうして雲取山登山で受けた凍傷から、私は完全に回復することが出来たのである。

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2004.03.01

雲取山登山で受けた凍傷の克服記-5

凍傷を受けた指先はゴム製のサックを嵌めたように見えた。そのサックのような指先の水泡が、少し痛いのを我慢すれば取り除けるようになってきていた。健全な皮膚と死んでいる皮膚との境目が取り除くときに少し痛いのだ。さらに、古い皮膚を取り除いてしまうと、その下に出来ている新しい皮膚は赤子の皮膚より薄くて柔らかい桃色の皮膚なので、息を吹きかけるだけで我慢出来ないほど痛い。だから、皮膚を剥がしたいのだが剥がせない、そのような時期がかなり長い間あったように思う。
ここまでくる長い間、栄養のある食べ物などを食べさせてもらっていたことをよく覚えている。母は栄養をつけないと皮膚が出来ないといって、まだもののないころだったが何かと元気づけてくれた。母の処置と気配りがなければ私は途方にくれ、皮膚は綺麗に再生出来ていなかったかも知れない。凍傷のことを思い出すたびいつも母に感謝している。

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