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2004.05.24

「ラビ・バトラ 新世紀の大逆転」を読む-07

04.5.21 10:42.JPG

第2章の中の「求められるべきは本当の自由と慈悲の心だ」においてラビ・バトラは言う。「自由な企業が存在しないといえば、驚く方も多いだろう。現代資本主義とは、そもそも自由な企業を前提としているのではなかったかと、反論されることだろう。しかしそうではないのである。今われわれの前にある社会は、自由な企業による競争によって維持されているのではなく、お金、つまり富が社会をコントロールすることによって維持されている。そしてこれこそが、全世界にさまざまな経済問題を引き起こしている元凶なのである。」と。

続けてラビ・バトラは言う。「アメリカでは、会社の経営が安定していたとしても、労働者の雇用が安定しているわけではない。会社が数十億ドルの利益をあげていても、ある日突然、何の予告もなく労働者がクビになることもある。」と。
更にラビ・バトラは言う。「これに対して、日本の企業経営者の労働者に対する扱いは、必ずしも過酷なものではない。経営状態がよいときに従業員がクビになることは、まずありえない。」と。
ラビ・バトラは最後に言う。「こうした点を見ても、日本の経営者には、アメリカ人経営者が持っていない「慈悲の心」があるように思えてならない。この慈悲の心こそが、プラウト理論の根本にある考え方なのである。」と。
私は私の観点から考えてみたい。ここで注目すべきは、自由な企業の競争は既に無く、富が社会をコントロールしているということである。つまり、富は対極の貧をなお極貧にすることによってなお巨富となり、貧は対極の富をなお巨富にすることによってなお極貧になるということである。
次に注目すべきは「慈悲の心」であり、2004年現在の日本は、日本的経営をアメリカ的経営にシフトさせつつ、「慈悲の心」をなくそうとしているように私には思われる。
ラビ・バトラの言うように果たして「慈悲の心」を保ち続け、夜明けを迎えられるのだろうか。日本のこの現状の中に、夜明けを迎える芽が育ってきている気配を、私はまだ感じとることが出来ない。
今日はこれまで。

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