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2004.05.23

「ラビ・バトラ 新世紀の大逆転」を読む-06

04.5.22 12:49.JPG

第2章の中の「絶望の中に希望の光が差し込んでいる」でラビ・バトラはいう。「災厄のなかから、必ず何かの解決策が登場してきたことは歴史的事実だ。」として、「実際のところ、日本が現在の経済的困難を打開するのは、決して難しいことではない。たった一つの条件さえクリアーすればそれは可能になる。その条件とは何か。それは輸出立国という固定観念を捨て去ることである。その上で、蓄積された高度な技術を駆使して、経済の基本に立ち戻るべきなのである。」と。

ラビ・バトラは続けて、「しかし、これまで日本の経済運営を担ってきた人々は、需要を創り出すという重要な経済政策を無視し、いかに供給を高めるかということのみに焦点をしぼってきた感がある。その結果が1990年以降の、物が売れない経済である。」と言う。
ラビ・バトラはここで自らの考え方の核心を語っている。「需要は人間の自由な欲求に基づいている。人間のいるところ必ず生活があり、生活を維持していくために物資を必要とする。その物資の必要こそが需要なのである。しかしここで一旦立ち止まって考えてみよう。経済が成長すると、一般大衆はその成果をどんな形で受け取ることが出来るだろうか。それは高賃金という報酬でなければならない。賃金が高ければ高いほど、一般民衆は製品を多く買い上げることが出来るのだから。」と。そしてその結論は、「つまり、賃金と供給される製品(生産性)がバランスを保って上昇してこそ、健全な経済ということが出来るのである。」とラビ・バトラは語る。
私は私の観点から考えてみたい。まず、輸出立国という観念を捨てるということであるが、国内需要を創造するという立場を確保するためには、輸出産業に使われている高度の知識技能をまず国内に向けるという点で強調されねばならない、と私は思う。
国内需要は、つまり国民のためにという発想がその創造理念でなければならないと思うが、この国民のためにという理念の欠如こそ、日本の経済状況ををここまで悪くした原因である。輸出立国という固定観念を捨てる代わりに、日本の大地からかって捨ててしまった、国民のためにという理念を拾い上げねばならない、と私は思う。
今日はここまで。

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