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2004.05.26

ラビ・バトラ 新世紀の大逆転」を読む-09

04.4.7 08:37.JPG

第2章の中の「いま舵をとりなおせば、最悪の事態は回避できるだろう」においてラビ・バトラはいう。「富裕者が富を搾取し、他の誰もが損をするような経済政策はいたるところにある。日本が理想的国家を確立しようとするなら、まず、その富裕者たちの誘惑と圧力を断ち切らなければならない。私は、日本が経済的停滞から脱し、迫りくる恐怖に耐え抜くための幾つかの方法を提案しようと思う。」と。

続けてラビ・バトラはいう。「長いあいだ世界の経済政策は、アメリカの経済政策立案者の利己主義的な動機によって牛耳られてきた。そして、この富裕者の利己主義による資本主義は、いま音を立てて崩れ落ちようとしている。この時期に、日本がもし私の提案を受け入れて実行に移すならば、日本はもちろん世界全体が、繁栄への道を歩むことができるのである。」と。
そしていま、事態は絶望に向かって刻々と進んでいるとし、日本にそこからの脱出の可能性を期待してラビ・バトラはいう。「これまでのところ、荒廃の淵へと向かう日本経済を指一本で支えているのは、労働者の解雇をできる限り避けようとする「日本的経営文化の存在」であり、日本人のもつ伝統に支えられた「慈悲の心」である。」と。
更に続けてラビ・バトラはいう。「これこそが、日本が誇れる日本的経営の「徳」のひとつで、他の国にほとんど見られない美質である。この「徳」が、日本の失業率を、世界各国と比較していまだ低い水準に留めている理由なのである。」と。
私は私の観点から考えてみたい。まず、日本の富裕者たちの考え方とその行動が、アメリカの利己主義による資本主義の考え方と行動にますます接近しているように、つまり、資本主義のアメリカ化を目標にしている富裕者の政権に対する誘惑と圧力は、いままで以上に増してきているように私は思う。
つぎに、日本的経営の「徳」のひとつ「慈悲の心」はラビ・バトラの重要な指摘である。日本の2004年半ばにおいて国民の中にある「慈悲の心」は、まだ「無慈悲の心」との間でバランスを失ってはいないと私は思う。
しかし、「無慈悲の心」こそが資本主義の精神的な支えとなっている以上は、遅かれ早かれ「無慈悲の心」に傾かねばならないという富裕者の勢力もまた強大であり、日本の2004年半ばにおいて、その勢力の増加の傾向を無視することはできないと私は思う。
「慈悲の心」がその存在を失墜させない前に、「無慈悲の心」を縮小させることは歴史的に見ても非常に難しい。「無慈悲の心」を持つ資本主義を避けて進むことができるのかどうか、日本の将来は国民の「慈悲の心」の中にあることは事実であると私も思う。
今日はここまで。

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