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2004.06.01

「しきり」の文化論を読む-03

04.6.1 16:32.JPG

第1章「しきるということ」の中の「ブレーキとしてのしきり」において著者は言う。「たとえば、ヨーロッパの都市の形成(計画)は、商業による定住化によっているという考え方と、戦争によっているという考え方がある。フランスの都市計画家、ポール・ヴィリリオは「都市は戦争の結果、少なくとも戦争の準備の結果だ」(ポール・ヴィリリオ+シルヴェール・ロトランジェ「純粋戦争」細川周平訳、UPU、1987年)としている。」と

続いて著者は「暴力とは「速度」だというヴィリリオの考え方を援用すれば、「しきり」はいわば速度を軽減するブレーキの役割ということになる。」とし、このことについてヴィリリオが述べていることを紹介している。
そして著者は言う。「たしかに二十世紀以降、私たちは速度(兵器)の時代にいる。城壁や国をしきるさまざまな壁は、洗車や飛行機によって簡単に越えられてしまった。とはいえ、私たちは現在においても、相変わらず多様な「しきり」を設けることで、他者の侵犯にブレーキをかけようとする。塀や壁などの無数の物理的な「しきり」、そして法や「しきたり」や規則や禁止事項やマナーなどの「しきり」である。」と。
私は私の観点から考えてみようと思う。まず、ヴィリリオの城壁を飛び越す高速度兵器のイメージを借りて、城壁という旧来の「しきり」が、速度を軽減するブレーキが「しきり」になるという「しきり」の新しい捕らえ方に変えて見せているところは、「しきり」についての現代における広がりを示していて面白い、と私は思う。
そして、他者の侵犯にブレーキとなるものを「しきり」として捕らえ、「ブレーキとしてのしきり」という面を強調しているのも面白い、と私は思う。
今日はここまで。

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