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2004.06.11

「天皇はどこから来たか」を読む04

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1995年にこの文章が書かれていることを念頭に、気に入った文を読んで、私なりに考えてみたい。第12章「天皇の来た道」の最後の部分で著者はいう。「最近、この国の大部分が一斉におなじ方向へ走った例は、「バブル」といわゆる「政治改革」である。」と。

続けて著者はいう。地道に働く生活者のなかには、いつまでもこんなことがつづくはずはない、と危惧した人も少なくなかったのに、金融機関と民間経営者がの多くが、土地と不動産への投機と財テクに走り、監視役のマスコミもそれを冷静にチェックするどころか、かえって煽りたてた面さえ見られた。政治改革の必要は、いうまでもないけれど、それが選挙制度の改革ひいては小選挙区制とイコールであるかのような主張が、政治を一新する切り札のごとくに見做されて、いつの間にかなかなか反対できにくい雰囲気が、政界とマスコミに共通して醸成され、乗客の国民がよく行く先を確かめずにいるうちに、バスが発車してしまった。」と。
また続けて著者はいう。「バブルの崩壊の結果、いまや底が知れないほど厖大なツケが、それを危ぶんで何の恩恵にも与からなかった地道な生活者のところへ回されてきているが、もし小選挙区制に重大な欠陥が含まれているとすれば、国民はいったいどのような請求書を突きつけられることになるのだろうか。」と。
そして著者はいう。「わが国において、ほぼ全員が同一方向へ一斉に走り出すときは、危険信号なのである。つまり、個性と価値観の多様性と、冷静な批判精神が、これからますます重要な時代になるのに、小選挙区制がそれらを反映せず、かえって地縁と血縁、組織等の束縛や圧力によって政治の世襲制や膠着性を強める制度であると分かったとしたら、戦前の翼賛体制に逆戻りしないためにも、いったん乗りこんだバスを降りて、新しい方向を自分自身の判断で探る勇気と努力を惜しむべきではないだろう。」と。
私は私の観点から考えてみよう。バブルはかって日本人が経験したことのない世界の出現に生活者は大いに戸惑った面があるが、まさかツケが生活者に回ってくるとは、その時生活者のだれも思っていなかった、と私は思う。
小選挙区制はいろいろな思惑がからんで当時進んでいたが、推進者達には少数野党を封じ込めて政権二党にしたい、ということが底流にあったと私は思う。選挙制度はイギリスを模範にしていたと思うが、そのイギリスの投票率はかなり低いようであり、現在の日本の状況を見ると、二世議員の当選確率が高いなど著者の恐れはぬぐえていないと私は思う。
江戸末期300余藩の殿様が江戸に居にもかかわらず、殿様のうちの誰一人、日本の将来を変革する力にはならなかった。このことを考えてみるとき、次第に多くなってきている遺産相続・世襲議員が地方の殿様になり、江戸・東京住まいしている姿が、江戸末期の殿様達と重なってくることに私は無力感を禁じえない。
生活者・庶民の夢は昔ながらの偉い殿様を持つことだけなのだろうか。おらが殿様を持ちたいだけなのであろうか。敗戦時のように、生活者・庶民が身をもって悲惨な生活苦を感じなければ、殿様であれば誰でもよいのであろうか。それが問題だ、と私には思えるのである。

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