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2004.06.13

「鉄道物語 はじめて汽車に乗ったあの日」を読む-1

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一昨年の8月に貰った「鉄道物語 はじめて汽車に乗ったあの日」佐藤美智知男・河出書房新書には、懐かしい写真がたくさん載っているので、時々書棚から取り出してはよく見ている。どのページを開いてみても、そこはすぐに思い出の旅の入り口になっていることがわかる。そして、たちまち想像の旅は始まるのである。

昭和40年から50年まで、私は吉祥寺を離れて横浜に住んでいた。再び吉祥寺に帰ってきたとき、中央線は高架線になって走っていて、五日市街道の大踏み切りは無くなっていた。
この大踏み切りを渡って武蔵野第3小学校に通っていたときには、踏み切り番のおじさんが両側に一人ずついたて、手動で遮断機を上げ下げしていた。暇なときにはよくおじさんとお喋りをしていたことを覚えている。
そばに無人踏み切りがあって悲しい事件も起こっていた。線路は越えるばかりではなく、線路沿いによく歩いたものである。線路の脇には保線のために細い一筋の道が線路とともにどこまでも続いていた。
小学生の頃、五寸釘などを線路の上に置いてつぶし、砥石で磨いて刃をつけ、皆に自慢していたのを思い出すが、自分もやっていたかどうかは定かではない。
夏になると、線路の脇や駅に近くには真っ赤な色をしたカンナの花が奇麗であった。その頃カンナの花は皆真っ赤な花であり、鉄道線路と真っ赤なカンナの花はよく似合っていた。
西荻窪駅に近づくと土手が現れ、土手には青々とした葛の葉が茂り、鉄道の土手といえばどこに行っても葛の葉であったようである。この葛は昔、日本からアメリカに招かれ、むこうのダムの堰堤の土砂くずれを防ぐことに成功していたので、今度は日本の鉄道の土手を守るため呼び返され、なつかしい日本に里帰りしてきたものなのである。
今日はここまで。

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