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2004.07.15

「暦の知恵・占いの神秘」を読む-03

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第6章「暦と元号」の「元号の始まり」において、著者永田久は次のように述べる。
「甲子改元、辛酉改元について述べてきたが、ここで「元号」について考えてみよう。古代中国では、天子には「観象授時」という特権があり、元を立て正朔(暦法)を定めて人民に時を授ける義務があった。天子が治世の始めとして「元号」を建て、それを年の称号としたのが「年号」である。つまり、元年は君主治世の始めの年ということである。」
私はどこかで、「観象授時」と、暦を定めて人民に授ける義務がある、ということを聞いていたような気がする。
続けて著者永田久は述べる。
「中国・漢の武帝が、紀元前一四〇年を「建元」元年として元号を定めたのが始まりである。しかし、紀元前一一三年(元鼎四年)をその始めとする説もある。日本では孝徳天皇の即位元年六四五年を「大化」元年としたのが公式年号の始めである。」
「そして大化二年より朝賀の儀が行われて、年の初めに挨拶を交わすしきたりが生まれたが、それが現在の「年賀状」として長い歴史を背負って伝えられているのである。」
ウエブで「年賀状 歴史」を検索してみると、年賀状が一般に広まったのは、江戸時代に飛脚制度の発達で年賀状を交換していたのに始まり、明治6年の郵便はがきの発行がきっかけだそうである。
更に続けて著者永田久は述べる。
「大化に始まった年号は、その後改元が行われ、天皇125代の現在までに247年号が施行されている。ちなみに中国では正統国家のみを扱っても皇帝198代、年号は456に及んでいる。」

元号は日本の場合、天皇の代の約2倍あるところをみると、様々な理由で「改元」が行われていたものと思われる。歴史に残る様々な時代は、だから年号をともなって人々の記憶にあるのであろう。

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