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2004.07.27

「江戸・東京ゆかりの野菜と花」を読む -03-   生鮮野菜の緊急確保

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第1章「江戸が育てた日本の花と野菜」の「1.江戸は世界最大の消費都市だった」の中の「生鮮野菜の緊急確保」は、次のように述べられている。
「一躍、世界一の人口集中都市になったために食料の供給が追いつかなかった。おまけに、江戸の初・中期の町人は男66に対して女34と圧倒的に男性が多かったこともあり、まさに巨大な胃袋をもっていたわけである。米は全国から年貢米が集まってきたので豊富に出まわっていたが、生鮮野菜の不足は深刻だった。当時の流行病が、江戸病みとか江戸患いといわれた脚気と鳥目(夜盲症)だったことも、うなずける。」

##「東京都の人口(推計)」の概要(平成16年6月1日現在)は人口総数 12,449,697人、男 6,203,036人、女 6,246,661人、
世帯総数 5,764,108 世帯(参考)となっていて、男49,8に対して女50.2である。思い出すと、日露戦争の時であったか日本陸軍に脚気が蔓延したとき、この脚気を克服することができなかったというが、当時の陸軍軍医には江戸時代の経験を生かす知恵にかけるところがあったのだろうか。
「このため、生鮮野菜の生産、食料の確保が緊急な課題となる。そこで幕府は、江戸の周辺に蔵入地(くらいりち・幕府の直轄地・天領)を集中的に配置し、軍事面の強化に加えて、食料の安定生産を図った。
「蔵入地の配置は次のようなものだった。現在の東京23区では、葛飾区一帯、大田区南部の六郷と北部の馬込の全村、世田谷区の半分、品川区13村のうち9村、港区中西部の麻布5村のうち4村。さらに多摩地方の農村や現在神奈川・埼玉県をも取り込んでいた。こうして江戸近郊の地域は、野菜などの食料やさまざまな物資の供給地として、重要な役割を果たしていく。」
##武家と町人の住む江戸の周辺は、生鮮野菜を生産する農民の住む巨大な村が形成されていったことがよく解る。また、蔵入地という言葉が解らないのでウエブ検索をしてみたが、 直轄地、天領、御料、御領 などのことであることは解ったが、なぜそう呼ぶのかは解らなかった。だが、蔵入地を支配していたのが 代官 であることを知った。
そこで、蔵入をキーワードにしてウエブ検索してみると、面白いものがたくさんヒットした。
「会津御蔵入の郷」 には「「御蔵入」とは、幕府の蔵入地(天領=幕府の領地)のことで、南会津郡全域と大沼郡の大半、さらに栃木県の一部を含む広大な地域をさします。ここは、幕府の財政の収入源だったのです。」と説明されているから、つまり「御蔵」なのだ。
「御蔵入三十三観音巡り」 というサイトもあり、「御蔵入(おくらいり)とは、江戸時代の幕府直轄領の呼称で、御蔵入三十三観音は
西国札所をまねて、元禄11年(1698)に、地元農民らによって制定されました。」とある。
「御蔵入奉行、河原田信盛」 というのもあり、「南会津地方は、旧河原田氏が領主筋に当たるということで、それまで嫡子包彦(かねひこ)が指揮役を負っていたが、包彦はまだ若年なところから、信盛は「伜出張致して居るも幼年なれば防禦方不安」の旨をもって願い出て、御蔵入(おくらいり)奉行となり、御蔵入の行政と軍事を一手に握って多忙な毎日を送ることになった。」とある。
今日はここまで。

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