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2004.07.04

複式簿記の思いで-11 現金の取り扱いについて

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「複式簿記の黙示録」の第1章、の中の「宣教師たちが伝えたイタリア式簿記」の「7・西洋ルネッサンス文化を戦国期の日本に導入したキリスト教宣教師たち」で岩辺晃三は、次のように述べる。
「パチョーリが「スンマ」を著してから約100年後、大航海時代の潮流は極東の日本にも押し寄せた。1542・3(天文12・13)年、ポルトガル船が種子島に漂着。そして、6年後の1549(天文18)年にはイエズス会のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸。宣教師をとおして西洋ルネッサンス文化と日本文化との本格的な出会いがはじまった。イエズス会は、ルターの宗教改革に対抗して、1534年にスペイン人イグナチウス・ロヨラが、ザビエル、サルメロンなど6人の仲間とともに結成したカトリックの失地回復のための団体である。」

続けて岩辺晃三はいう。「1555(弘治元)年に来日した医師ルイス・アルメイダは、豊後府内(大分)に西洋式病院を開設し、日本ではじめて外科手術を行っている。」「医師にして商人のアルメイダは、当時の商人のあいだで一般的にもちいられていたイタリア式簿記の知識をもっていたと思われる。その会計知識を、布教や医療に携わるなかで日本人に伝授したと考えても不思議ではない。このようにして、パチョーリの「スンマ」にあらわされたイタリア式簿記の知識は、イエズス会宣教師たちによって約100年の年月を経て16世紀にも波及していったと考えられるのである。」
当時の日本はどのような状況の下にあったか、岩辺晃三は続ける。「8・宣教師建ちから西洋文化を次々に吸収していった織田信長」で、「フランシスコ・ザビエルが渡航したころの日本は、群雄割拠の戦国時代であった。足利将軍家は実権を失い、京の町はしばしば戦乱の巷と化していた。ザビエルたちの布教活動は、最初、京都では認められず、大内氏の山口、大友氏の豊後府内などの地方都市が拠点となった。」
更に続けていう。「1576(天正3)年には、現在の滋賀県蒲生郡内にある安土に壮大な安土城を築いて入城し、天下人としての威容を示した。安土城下で信長は商業の自由を認め、楽市・楽座を設けた。是は、宣教師たちを通じて得たヨーロッパの知識の影響と考えることができる。ちなみにこの年、信長はイエズス会に天主堂と呼ぶにふさわしい教会を京都に建てることを許している。」
そして宣教師達の活動はどのようであったか、岩辺晃三は続ける。「キリシタンの教育活動は、1579(天正7)年、イエズス会巡察師ヴァリニャーノが来日するとにわかに活発化した。ヴァリニャーノは、来日後すぐ肥前有馬口の津で宣教師を招集して会議を開き、日本をミヤコ(都・京=中国地方まで)、シモ(下=豊後をのぞく九州・西九州)、豊後の3区に分け、それぞれに教育機関を作る方針を決定した。」「イエズス会の教育は、ロヨラの考えにより哲学・数学および緒自然科学が重要視されていたといわれ、ルネッサンス期に形成されたイタリア式簿記が新しい実用数学として取り上げられ教育のなかに加えられた可能性は高い。なお、セミナリオやコレジョで、だれが教育を受けたのか、こんにちにいたってはまったく不明である。」
著者岩辺晃三は、「スンマ」が日本において普及していく過程を推理して、ロヨラに注目している。私はイエズス会を作らせることとなったルターの宗教改革に注目し、新たな興味を持ち始めているのである。
団体の会計業務で思い出すことの一つに、現金勘定、小口現金のことがある。このことについてふれて見たい。
団体の仕事を進めていくうちに、団体の会費や斡旋した品物の代金を現金で持ってこられることがあり、銀行に持っていくあいだ手元に置いておかねばならないことが分かってきた。一人団体であるから毎日銀行に行かれるとは限らないので、場合によって数日のあいだ現金を手元に置くことになる。
そこで考えたすえ、勘定科目の現金の下に「A小口現金」と「B小口現金」の2つをつくることにした。「A小口現金」は、日常の事務処理必要経費を普通預金から引き下ろした手元現金の収支管理に、「B小口現金」は、現金収入を普通預金に入れるまでの収支管理に利用したのである。
丁度そのころ消費税が施行される直前の時期であり、説明会があちこちで持たれていた。前評判ではいろいろと問題があって難しそうだったので、そのうちの幾つかに出席してみた。説明もだいぶややこしかったが、団体の斡旋業務だけに限ってみると至極簡単なものであった。
銀行預金の手数料というのは、なかなか飲み込めなくて往生したものである。何が何でも手数料を取るようになっているし、他行はもちろん、自行の中でも支店間で手数料を取るのには、大いに疑問があった。この場合の手数料はよく現金で支払ったので、「A小口現金」の出番になり、そのうち自分の小銭入れの小銭と混ざってしまい、その区分けに困っていたので、もう一つ封筒を作って区分け不明の小銭を入れていると、どういうわけかいつも余っていたのが不思議であった。ここらへんの管理は旨くいかなかった。
あるとき同業の会計監査に立ち合ったことがあった。そのとき教えてもらったことは、現金の出納は毎日必ず突き合わせを行って、合計額が合わなければ帰らない癖をつけなければならない、と厳しい教えであったが、独り身の団体ではやはりそのことは二の次になってしまっていた。
人を使うということは、こうした様々な点で大変であることが身をもって分かってきたころ、独り身の団体は他人を使うわけではないので、制約を課す必要もなく受けることもなくて素晴らしい、と改めて思ったものである。
今日はここまで。

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