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2004.08.01

「江戸・東京ゆかりの野菜と花」を読む -08-   大名も旗本も野菜をつくった

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第1章「江戸が育てた日本の花と野菜」の「4.参勤交代で地方の名産が続々と江戸へー大名屋敷は家庭菜園」の中の「大名も旗本も野菜をつくった」は、次のように述べられている。
「江戸に幕府が開かれると、全国の大名・小名が続々と江戸に屋敷をかまえるようになってきた。そして、大名や旗本は皆、屋敷のなかに家庭菜園をつくった。これを前栽畑といった。東京の農家が野菜のことをセンザイと呼んでいたのは、その名ごりである。」

##家庭菜園という言葉を初めて知ったのは、第二次世界大戦中のことであった。サラリーマンであった父の吉祥寺の家の庭に家庭菜園を作り、なす、きゅうり、トマト、インゲン、サヤエンドウ、ほうれん草、トウモロコシ、じゃがいも、サツマイモ、つるな、しゃくしな、かきちしゃ、ねぎ、大根、にんじん、ニラ、エゴマ、などたくさんの植物をつくって収穫の楽しみを味わっていた。当時、庭のある家はほとんど家庭菜園をつくり、さらに路地にも、空き地にも家庭菜園をつくっていた。##
「大名の江戸屋敷の敷地は4000坪(1坪は3.3平方メートル)から9000坪、旗本屋敷でも500坪以上だった。各大名の屋敷には上・中・下の三つの屋敷があり、中には水田・畑も含み、何戸もの農家が暮らす下屋敷まであったことが記録されている。当然、そこでは自給用の野菜がつくられていた。ちなみに現在の新宿御苑は、信濃国・高遠藩の下屋敷跡である。
大名たちの野菜畑で栽培されていたのは、それぞれの国元から持ち込まれたお国自慢の野菜類。人間だけでなく、野菜までが江戸に集中してきたのである。今日の東京野菜の多くは、このときの導入されたものだ。
こうした野菜や花などの農産物の江戸への集中と地方への分散に一役かったのが、参勤交代だった。三代将軍・徳川家光が全国の大名に対して支配を強めるためにつくったこの制度が、農業の発展にも大きく影響したというわけである。」
##大名の江戸屋敷は現在どのようになっているのだろうか、 「大名 江戸屋敷」 をキーワードにしてウエブ検索をしてみた。すると、 「大名・旗本 江戸屋敷の現況一覧」 という面白いサイトが見つかった。また更に「大名 江戸屋敷 野菜」と「野菜」を加えてウエブ検索をしてみると、 「固定種についての講演要旨」 の中に、タネにまつわる面白い話が出てきているので紹介したい。##
「種屋の誕生
世界中から日本に伝来した野菜は各地に広がり、風土に適応していろんな地方野菜、伝統野菜に変化していきます。これが自然の摂理で、それは、鎖国状態の江戸時代に一気に花開きました。諸大名は参勤交代するときに、その地方の特産野菜を持ってきます。大名屋敷はものすごく広いので、そこで国元の野菜を作ったり、将軍家に献上したりして、各地の「名物野菜」の評判も形成されました。当然、江戸勤番の侍に国元の野菜の種を渡されて、栽培を請け負う農民もいたでしょう。
江戸時代は、日本の人口のほとんどが農民です。武士はほんのひとにぎりに過ぎません。しかし江戸の町ができあがって、世界で一番大きな町になり、参勤交代や禄を離れた浪人など日本中の侍が集まってきたために、その人たちの需要を満たす商人や職人とともに、自給自足でなく、他人に販売するための食べ物をつくる専門の農家も生まれました。脚気が「江戸患い」と言われたくらい野菜が貴重な江戸ですから、相当よい値で売れたのでしょう。江戸近郊の農村で畑を耕して、武士や町人のための販売を目的とした野菜を作るようになります。各地の様々な地方野菜は、やがて関東の風土に適応して、関東に向いた野菜に変わっていくことになります。肥料は、江戸の町家や長屋から出る大小便です。こうして今に名高い江戸の循環型社会が完成するわけです。
販売用野菜を作っていると、元来、百姓は一番よくできた農産物を一番高く売りたいわけです。しかし、農家の中には、一番良くできたものを次の種にするんだということで、次善のものを売って、本当にいいものは自分で種を採って、その種を選抜淘汰して育成していく人たちが生まれてきました。近所の人がその種を分けてもらい、評判を聞いた遠くからも種を求める人が訪ねるようになります。それらの人たちが、今の種屋のもとになっています。
江戸中期以後、種屋の集落が今の北区の滝野川というところに生まれました。現在の「みかど育種」の越部家とか、「東京種苗」の榎本家とか、「日本農林社」の鈴木家とかいう人たちのご先祖にあたります。「滝野川人参」とか「滝野川牛蒡」などを育てるとともに、日本中の種を集めて改良し、また日本中に売る仕事をするようになります。」
##野菜がタネの改良によってさまざまな「名物野菜」になり、参勤交代を通じて全国に広まっていったという、現代と変わらぬ姿が浮かび上がってきて面白い。##
今日はここまで。

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