« 「江戸・東京ゆかりの野菜と花」を読む -10-  将軍へのおくり物競争 | トップページ | 「江戸・東京ゆかりの野菜と花」を読む -12-   ベテランまで呼んで本物の味を追及 »

2004.08.04

「江戸・東京ゆかりの野菜と花」を読む -11-   産地化を促した”御前栽畑”と苗づくり農業

040710_0815.JPG

第1章「江戸が育てた日本の花と野菜」の「5.野菜名人をスカウトして幕府直営の農業試験場始まる ー 産地化を促した”御前栽畑”と苗づくり農業」は、次のように述べられている。
「欲しいときに欲しい量の野菜を手に入れたいと考えた幕府は、直営の”御前栽畑”をつくった。その第1号が隅田村(現在の墨田区墨田など)である。江戸城中から川伝いに舟で往復できるというメリットと、隅田川が運んだ肥沃な土、野菜栽培に欠かせない水の便のよさなどを評価して、ここを選んだようだ。」

「農作業を担当したのは付近の農民たち。彼らは見たこともない野菜の栽培を命じられ、苦労することもあったようだ。しかし、逆に目新しい品種や栽培方法に興味を示し、次第に自分たちの農業にも取り入れるようになった。
隅田川の隣にあった寺島村(現在の墨田区東向島・京島など)もその一例である。御前栽畑ができてまもなく、なすの大産地となり、寺島なすは江戸の人びとに好まれた。」
##私はここまで読んできて思う。御前栽畑という言葉がもう一つわからないのでウエブ検索をしてみた。するとたくさん出てきたのは”名所江戸百景  木母寺内川御前栽畑 (きぼじうちかわごぜんさいはた)歌川広重(初代)/江戸”の木版画である。
その説明には「 「本母寺内川御前栽畑」 では、舟から上がり名店の植半に向かう芸者をなにげなく描いて、その店を暗示しています。将軍も、亀有村の恵明寺で昼食をとる行き帰りに、両国橋から舟に乗り 隅田村 水神脇で上陸しています。そこから本母寺境内−御前栽場−大土手通りを通って亀有へ至っています。将軍が、絵では芸者に化けた!と勘ぐりたくなります。」とあって面白い。
「栽前」についてウエブで検索してみたら 「taihiya.com 百姓」 というページがあり、その後半に少し分かり易い説明があった。
[自給経済から商品経済への移行]
近世農業の典型は自給的穀作農業にある。百姓は,穀作に重点をおきつつ雑多な作物を必要に応じて少量ずつ作る。田では年貢のための米を作る。収穫した米の大部分が年貢米として取り上げられる事情のもとでは,百姓の自給自足的な日常生活は,主として 畑作 で支えられている。畑では雑穀 (麦,アワ,ヒエ,ソバ,大豆など) を作って食料にする。そのほか少量の苧麻 (からむし) ,棉などを作って自給衣料の原料とし,屋敷まわりには前栽物 (せんざいもの) を作って蔬菜を自給する。自給自足的な百姓の生産・生活を支えるのに必要な年間の農作業には,田畑での本来の農耕の諸作業とともに,山野での山仕事および農産物加工の仕事が含まれている。
「栽前」は、つまり家庭菜園のことのようである。##
今日はここまで。

|

« 「江戸・東京ゆかりの野菜と花」を読む -10-  将軍へのおくり物競争 | トップページ | 「江戸・東京ゆかりの野菜と花」を読む -12-   ベテランまで呼んで本物の味を追及 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/12847/1120372

この記事へのトラックバック一覧です: 「江戸・東京ゆかりの野菜と花」を読む -11-   産地化を促した”御前栽畑”と苗づくり農業:

« 「江戸・東京ゆかりの野菜と花」を読む -10-  将軍へのおくり物競争 | トップページ | 「江戸・東京ゆかりの野菜と花」を読む -12-   ベテランまで呼んで本物の味を追及 »