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2004.08.05

「江戸・東京ゆかりの野菜と花」を読む -12-   ベテランまで呼んで本物の味を追及

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第1章「江戸が育てた日本の花と野菜」の「5.野菜名人をスカウトして幕府直営の農業試験場始まる ー 産地化を促した”御前栽畑”と苗づくり農業」の中の「ベテランまで呼んで本物の味を追及」は、次のように述べられている。
「将軍家は、まくわうりの栽培も手がけている。もともとは美濃国下真桑村(現在の岐阜県本巣郡)のうりで、そのおいしさが知れわたって、まくわうり(真桑瓜)と名づけられたという。くだものがよくできなかった江戸時代にはその代わりとして人気を集め、江戸城の宴会でも、”水菓子”として使われたようだ。」

「ところがタネを取り寄せ、いざ栽培しようとしたが、江戸近郊にはうまくつくれる農家がない。そこで将軍家では、タネと一緒にベテランの農民三人を下真桑村から呼び寄せ、現在の府中市是政と、新宿の成子坂付近で栽培にあたらせたという。府中の後前栽畑からは数千個の真桑瓜が江戸城に運ばれた。
しかも、このうりには葵瓜(葵は徳川家の家紋)の名までつけられた。”御用瓜”の立て札をかかげて街道の人びとを土下座させながら城内まで運び込まれたと伝えられている。」
##私はここまで読んできて思う。真桑村とはどんなところだったのだろうか、早速ウエブで検索してみると、 「真桑文楽と真桑瓜」 という面白いサイトがあった。下真桑村は真正町となり岐阜県本巣市真正地区となっている。 真正地区には「まくわ」という駅 がある。 真正町では今でも真桑瓜を作っている ところがある。
「笠松歴史探検隊・往来人馬問屋の設置」 というサイトの中にも「元和三年は、鮎鮨や真桑瓜が将軍家へ献上されることが制度化する時期」などと輸送についての面白い記述があった。
また、現在の府中市是政と新宿の成子坂付近についてもウエブで検索をしてみた。 新宿の成子坂 の「坂の途中、鳥居から延びる参道の奥に成子天神が祀られている。境内に、江戸期このあたりの畑で鳴子ウリと呼ばれた真桑瓜が盛んに栽培されていたことを記した案内板が立っている。」
しかし現在、府中市是政には真桑瓜の痕跡を見つけられなかった。
今日はここまで。

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コメント

>進藤さん
ご感想をいただきありがとうございました。
吉祥寺辺りで、今では真桑瓜は売ってないようです。更に改良されてプリンスメロン、キンショウメロンとなって売られています。
先日、福島県から送られてきた真桑瓜を食べました。今ではほとんど作っているところはありませんが、とても懐かしい味でした。

投稿: kojima | 2004.08.07 11:12

「真桑瓜」が現在の岐阜県とは!それにしても将軍様の実力は大したものです。全国の名産を江戸で育てて、また分配した現在の流通の基本をしていたのですね。だからこそ、東京がいまだに1000万人を超える都市でもあるのだなと感じます。

投稿: 進藤和丸 | 2004.08.07 10:01

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