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2004.08.06

「江戸・東京ゆかりの野菜と花」を読む -13-  幕府に納める中野の苗づくり

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第1章「江戸が育てた日本の花と野菜」の「5.野菜名人をスカウトして幕府直営の農業試験場始まる ー 産地化を促した”御前栽畑”と苗づくり農業」の中の「幕府に納める中野の苗づくり」は、次のように述べられている。
「中野村(現在の中野区)の農民は苗づくりを盛んに行った。名主の堀江家は、江戸時代のはじめから幕府直々の命令で毎年なすの苗を江戸城に納めていた。文政十年(1827)の十月に書かれた堀江家の古文書に、その記録がある。」

「それによると、江戸城の庭園の吹上御苑に、山なす苗五千本と巾着なす苗三百本、山里御苑に、山なす苗三千本と巾着なす苗二百本、三の丸御苑に、山なす苗三千本と巾着なす苗二百本、を納めている。
その他、尾張・紀伊・水戸の徳川御三家などにも納めていたから、なすの苗は何万本ともなったはずである。江戸城や大名屋敷で、いかにたくさんの野菜が栽培されていたかがわかる。
御前栽畑は農作業の模範となり、つくる野菜は付近の農民を刺激するという、現代の農業試験場のような役割を果たしていたことになる。」
##私はここまで読んできて思う。中野村と堀江家の辺りは現在どうなっているのだろうか、ウエブ検索をしてみると 「なかのアメニティガイド」 と言う面白いサイトに出会った。 「なかのアメニティガイド」ー「東部地域」の中にある「宝泉寺」 に次の記述がある。
「また、この寺には 堀江家 の墓所があります。 堀江家 の起こりは明らかではありませんが、十二代重賢の徳川幕府への届出書によれば、越前(福井県)から同家の先祖、兵部という人が農民十数名とともにこの地に来て、弘治元年(1555年)中野の開発に着手したとされています。
当時、関東を支配していた小田原北条氏から小代官に任ぜられ、江戸開幕後、歴代の当主は、中野村の名主に任命され、中野とその近郷の有力な指導者となりました。 堀江家 がはたした業績によって、中野村はしだいに発展していきました。
その間の村政及び幕府との関係文書は、現在「 堀江家 文書」として東京都立大学に保管され、研究に供されています。 堀江家 は、将軍鷹場の村むらへの御用触次、青梅街道中野宿の問屋場役人、組合村寄場役人のほか、江戸城内への種物・ なす 苗の上納など各方面に事跡を残しましたが、明治以降も中野の町村政のためにはたした業績はまことに大きく、現在の中野区の発展の礎となっています。
所在地  中央2−33−3
交通手段 営団地下鉄丸ノ内線・都営地下鉄大江戸線中野坂上駅から徒歩5分」
##江戸から東京になって中野区の農業はどうなったのだろうか。このことについても、同じ 「なかのアメニティガイド」ー「東部地域」の中にある「城山公園一帯」 に次の記述がある。
「城山公園から、大久保通りにおよぶ約2.7平方キロメートルの一帯は、東京府が明治33年(1900年)に設立した最初の府立農事試験場がおかれていたところでした。
江戸時代末頃から、豊かな経験と技術をもつ各地の「老農」とよばれる人たちの相互交流にたよる農業改良が行われていましたが、この農事試験場では、新しい農業技術の開発やその成果を見習生の養成・講習・実地指導に生かして普及する方法をとりました。
試験場の活動は、野菜や草花の温室による促成栽培試験などをふくめ、多くの面で東京近郊の農業技術改良に少なからず影響を与えました。
この新しい農業の象徴ともいえる農事試験場も、都市化の波におされて、大正13年(1924年)には立川へ移転していきました。
所在地  中野1−44
交通手段 JR中野駅から徒歩10分」
##また、このウエブ検索のなかで見つけた 「江戸・東京農業名所マップ」という本の「江戸・東京農業名所めぐり 目次」 というページは、眺めているだけでも想像の中の旅が出来て面白いと思う。##
今日はここまで。

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コメント

ご感想をいただきありがとうございました。
「江戸・東京ゆかりの野菜と花」には、私が若い頃に注意を払ってこなかった事柄がたくさんあって、それを知る喜びとともに江戸・東京を楽しんでいます。
江戸はその始めから大いなる開拓地であり、実験都市であり、「江戸・東京ゆかりの野菜と花」を読むことを通じて、今もって江戸の実権精神が発展を続けていることに大いに驚異を感じています。

投稿: kojima | 2004.08.07 11:08

「江戸・東京ゆかりの野菜と花」の連載、興味ふかく読んでいます。中野の堀江家が、徳川以前に福井県から、この地に入植したとか、なすの苗を供給したなど、首都になる要素が東京にはあったのですね。「江戸・東京農業名所めぐり」はこれから上京の折に、意識して大都会の展開とともに、見ましょう。

投稿: 進藤和丸 | 2004.08.07 09:51

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