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2004.08.07

「江戸・東京ゆかりの野菜と花」を読む -14-  たくわん用の名品・練馬大根

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第1章「江戸が育てた日本の花と野菜」の「6.土地柄を見分けて特産野菜を育てた江戸農民の心意気 ー 練馬大根と亀戸大根」の中の「たくわん用の名品・練馬大根」は、次のように述べられている。
「今の東京はどこへ行っても同じようにみえるが、じつは土の性質や気候条件は場所によって多様である。江戸時代の農民たちは各地の風土の特徴を見ぬき、そこにふさわしい野菜産地をつくってきた。ここでは、武蔵野台地の練馬大根と、旧利根川がつくった沖積デルタ地帯の亀戸大根について調べてみよう。」

「練馬大根はたくわん用の名品だった。
伝えによる と、五代将軍・綱吉が将軍になる前に脚気にかかった際、占い師に「城の西北、馬の字のつくところで療養すれば治る。」と言われたそこで、下練馬村(現在の練馬区北町・錦など)に殿舎を建てて静養した。そのとき、尾張の国(愛知県)から献上した宮重大根をまかせたのが始まりといわれている。重さ三貫(約11キログラム)、長さ4尺(約120センチメートル)の巨大な大根ができたそうである。
脚気がなおった綱吉は、練馬村の名主・大木金兵衛に、大根の栽培と献上を命じた。そして、品川の東海寺の沢庵和尚が創始した塩と米ぬかによる大根の貯蔵法、すなわち 沢庵漬(たくわん)
をつくらせ、練馬の名物にしたといわれている。」
##私はここまで読んできて思う。今、練馬大根と沢庵はどうなっているのだろうか、早速ウエブで検索をしてみた。すぐ 「よみがえれ練馬大根」 というサイトが見つかったので、 「練馬大根の今 ー 収穫しました」 を見てみると、「収穫しました。これから漬物用に干します。11月26日に収穫作業を行いました。これからは漬物用に干します。干している間は雨が厳禁。冷たい北風にさらされるのが一番良いと言われています。」とあり、見事な写真があった。
##また宮重大根については 「練馬大根誕生伝説」 に次のようなことが書いてある。「種苗研究家森健太郎は、「北豊島郡誌」に「蘿蔔(だいこん)の種子を尾張に求め」とあるのは疑わしいということを、次の理由を挙げて説明している。「練馬大根が、尾張からとりよせた大根を宮重とすると、(練馬大根には)遺伝学上、どこかに宮重の遺伝現象が認められるはずであるが、(練馬大根には)なんら認められない。」(全日本種苗研究会機関紙 種苗指針第2号所収、括弧の部分は補記)
「武蔵野歴史地理」 (高橋源一郎著 昭和3年刊)には、下練馬御殿の考証とともに、練馬大根の起源にふれ、「(北豊島郡誌の説は)甚だ信用し難い説である。或人は後人の偽作かとも云って居る。新編武蔵風土記稿には之に関することは少しも記していない。されば、この偽作も文化・文政以後最近のことであらうか。」と述べている。
##また次のような 考察 もある。「種苗研究家森健太郎は、「幕府の小石川お薬園で、練馬大根の片親と認むべき北支那系の品種があり、これを叉六が入手して毎年栽培を続けているうちに、たまたま古い練馬大根に自然交雑し変異したものを発見し、(略)のちの練馬大根(練馬尻細)の原種となったものと推測される。年代は享保以後と思われる。」と解釈している。(括弧内は補記)」
##これらのことから、練馬大根は練馬の地に既に存在していた品種である、とも思われる。
今日はここまで。

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