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2004.08.09

「江戸・東京ゆかりの野菜と花」を読む -16-  江東・江戸川・墨田地区

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第1章「江戸が育てた日本の花と野菜」の「7.江戸農民の手で名品種が次々と生み出された ー 品種についた地名から誕生の地を訪ねよう」の中の「江東・江戸川・墨田地区」は、次のように述べられている。
「江東区では、砂村周辺(現在の北砂・南砂など)が早くから野菜産地だったところ。温暖で、土が肥えて水も豊富という好条件に恵まれ、砂村ねぎ、・砂村きゅうり(砂村青節成・砂村葉込)・砂村なすなどといった地名つきの品種が次々と生まれた。」

「砂村ねぎはのちに足立方面に伝わり、千住ねぎに改良されていく。砂村きゅうりは、大田区馬込周辺や品川区大井周辺・豊島区・杉並区高井戸周辺などの近年までつづいた産地に伝わって、優れた品種がつくり出された。
江戸川区では、小松川村(現在の東小松川・西小松川など)で小松菜が誕生した。それまで葛西の名産品だった葛西菜を、小松川村の住人・椀屋久兵衛が改良したといわれている。かぶの一種で、低温に適し、霜にあうと葉がやわらかく厚くなる。おいしい冬野菜として、人びとに喜ばれていたようだ。
また、墨田区では寺島なす・本所うりが有名だった。このあたりは幕府の御前栽畑が初めてつくられたところでもある。」
##私はここまで読んできて思う。砂村のねぎ、きゅうり、なすは今どうなっているのだろうか、ウエブで検索してみた。すると現代では、千住ねぎのほかに 「矢切ねぎ」 というねぎも作られていて、次のような記述を見つけた。
「矢切ネギ.....注 (矢切ネギの宅配) ここに写真あり。
いち早く優良品として東京市場で有名になったのは、矢切地区の「一本ネギである。従来その起源については、明治二十年ごろ東京府下砂村から種子を輸入し、松戸町の澁谷仁助という者がはじめて栽培したといわれていたが、実際には十五年以前から栽培されていた。澁谷仁助という人物を壬申戸籍で尋ねてみると下矢切村に発見され、父は重兵衛、戸籍面では仁輔(二十一才)と書かれ、残念ながら石高は記載されていない。
仁助の伝記はこれ以外詳らかではないが、明治十五年の陸産会に出席した上矢切の渋谷保太郎も「抑葱の本場は東京府下砂村を以って第一とす、本員地方にても皆該村より購求して栽培するものなり」と述べており、種子は砂村より購入したものである。種子の代価は一合につき早種は十銭・中種は五十銭・晩種は七十銭位であった。しかし、矢切葱の名か高まるとともに、すでに「遠隔の地にては悪種をして我地方の種なりと偽り売却する」悪徳業者が現われるに至った。
松戸市史下巻(一)明治編p344 (明治前期の農業政策と江戸川流域の農村)」
また 野菜図鑑「ねぎ」 というページでは、現代のねぎ概要を知ることができる。
##次に千住についてのウエブサイトをみてみると、 「千住やっちゃ場」 というサイトがやっちゃ場(青果市場)の昔と今を結んで面白い。
##小松菜について私は、 「小松菜編」 というページから「かぶの一種」だということを知った。また 「自然の恵み」 の中の、 「とうきょう あのやさい このくだもの」 というページでは、今の小松菜をはじめ大根を紹介していてわかりやすく、 「とうきょうの農業の風景」 では日本を代表する卸売市場・東京都中央卸売市場本場である 東京・築地市場 を知るのにいい。##
今日はここまで。

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