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2004.08.14

「江戸・東京ゆかりの野菜と花」を読む -21-  その他の地区

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第1章「江戸が育てた日本の花と野菜」の「7.江戸農民の手で名品種が次々と生み出された ー 品種についた地名から誕生の地を訪ねよう」の中の「その他の地区」は、次のように述べられている。
「杉並区では、井荻村で文化年間(1804〜18)に、古谷岩右衛門がうどの栽培を始め、これはのちに吉祥寺うどとして有名になった。そのほか、荒川区の汐入大根・三河島菜・台東区の谷中しょうが・立川市の砂川ごぼう・奥多摩のわさびなどが、古くにできた優れた品種である。」

##ここまで読んで私は思う。これらの野菜はかって聞いたことがある。今はどのようになっているのだろうか。ウエブで検索してみた。 「東京特産 野菜の貴婦人 うど(独活)の紹介」 というサイトのなかの「うどって何?」というページに「うどは、ムロ又は穴蔵と呼ばれる地下3〜4mの縦穴の軟化床で、光をあてずに栽培するので、色が白くなります。そのスラーっと伸びた白い姿と香り高き芳香は、まさに 野菜の貴婦人 と言っても過言ではありません。」とあって白いうどの写真がある。
##また、別のサイトの 「玉川上水に架かっているうど橋の由来」 というページには、「東京うどは天明5年(1786年)に山うどを改良し、農地栽培で生産するようになった。当初は、三鷹うど・吉祥寺うどといわれたが、明治以降は、武蔵野うど・東京うどと呼ぶようになり、武蔵野市が有数の生産地であった。」とあって、うどの生産について異なった見解が示されている。
##汐入という地名に関して、“バス停終点の風景”のテーマをもとにしてに探っているサイト 「都営バス 南千住汐入」 に出会った。
「昔は正式に“汐入”という地名があったのだが南千住8丁目に統合されてしまったのである。(個人的には非常に疑問が残る)
汐入の由来は戦国時代に上杉謙信の家臣高田氏が川中島合戦で落ち延びたことから汐入の開発が始まったと言われている。
江戸時代では汐入大根(二年子大根)の産地。明治の中頃までは胡粉(こふん)の製造があり、近代は中小工場の町として盛んになったが隅田川に囲まれた特殊な地形に加え、複雑な土地区画で狭い路地が集中していたことから防災上の観点から“白髭西地区第二種市街地再開発事業”として現在も再開発中である。」とあるが、なぜ汐入というかについては書かれていない。
##「荒川ネットーブログというサイトの荒川区ってなあに?」というページの中の「荒川区の誕生」には江戸野菜がでてくる。
「(1)荒川区の誕生
江戸時代の現在の荒川区域は江戸の市街地に隣接していたが田畑を耕す農村地帯であった。畑の占める割合が多く、汐入大根、荒木田大根、三河島菜や谷中生姜等が有名。明治11年、東京府(現東京都)が15区と6郡の構成になったとき、現在の荒川区地域は当時の北豊島郡に属する10農村地帯の一つであった。昭和7年10月1日に大東京市35区制により、南千住、日暮里、三河島、尾久の4つの町が合併し東京府東京市荒川区となる。昭和25年に東京都の現在の23区制の一区になり、現在に至る。」
「野菜図鑑しょうが」 には谷中しょうがの写真があり、 「今月の旬「生姜/しょうが」」 には生姜についての全般的な情報がある。
## 「砂川とは何か?」 についてはここに詳しい。
##奥多摩のわさびは現在でも栽培が続けられていて、その姿はここ 「「奥多摩わさび塾」第1期塾生今春卒業」 にある。
奥多摩のわさび田の場所と様子を知るには、ここ 「奥多摩のわさびだ」 がいい。
今日はここまで。

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