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2004.08.17

「江戸・東京ゆかりの野菜と花」を読む -24-  江戸農業を支えた肥料あれこれ

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第1章「江戸が育てた日本の花と野菜」の「10.都市の糞尿をすべて農業に使うしくみ ー 江戸の肥桶は牛乳缶みたいに清潔」の中の「江戸農業を支えた肥料あれこれ」は、次のように述べられている。
「畑で作物をつくりつづけると肥料分が作物に吸われ、土がだんだんやせていく。化学肥料がなかった江戸時代には、自然のものを肥料として施す工夫が各地で生まれていた。」

「山や川の草、木の新芽を刈り取って、田畑にいれる刈敷きもその一つ。毎年平均して利用できるように、一回の量を決めるなど厳しいしきたりも村々にはできていた。刈りすぎを防ぐことは野山や自然を守ることでもあった。
大きな河川や沼に近いところでは水が運んできた泥が、海辺の村では海草が肥料になった。なかでも米ぬかや菜種かす・乾鰯(干したいわし)、家畜や人間の糞尿などは、効果の高い肥料として使われていた。
江戸の野菜づくりは、各地の生産者の努力のほかに町人たちの下肥(糞や尿)に大きく支えられていたのである。」
##私はここまで読んできて思う。刈敷とは何か、ウエブ検索をしてみると 「戦う農民たち−400年前の習志野市域その1−」 という面白いページに出会った。
「江戸時代の農民は、武士に支配され言われるがまま年貢を納めていたと思われがちですが、土地争い・水争いなど、命に関わるような大事な時には、武器を持ち実力行使に出ることもあったようです。しかし、この場合問題になったのは「野」や「草」であり、「田畑」や「米」ではありません。なぜ、命をかけるほど野や草が大切だったのでしょうか。
江戸時代を代表する肥料として、干鰯〔ほしか〕・油粕〔あぶらかす〕・下肥〔しもごえ〕などが有名です。しかし、関東地方でこれらの肥料が使われるようになるのは、江戸時代中期以降のことで、それまでの肥料の中心は刈敷〔かりしき〕・草木灰と呼ばれるものでした。刈敷は刈った草や小枝を田畑にすき込んで肥料とするもの。草木灰は文字通り草や木を燃やした灰を田畑にまくものです。十分な刈敷や草木灰を与えるためには、耕地と同じくらいの広さの野(草山)が必要だったといいます。
やっと戦国時代が終わり、江戸幕府が開かれた頃、野を守り充分な草を手に入れることが、命をかけるほど大切だったことが伝わってきます。」
##さらに、刈敷山があるという 「農書全集」 というページを見ると、「人と人、人と自然との関係を律した〈村法〉」に次のような記述があって面白い。
「『北条郷農家寒造之弁』には、「草刈場をつくるには、村中で相談して、村有林あるいは入会山、または開墾しても耕地にならないような荒地を選ぶべきである」(二六〇ページ)とあり、入会山が往々草刈場(刈敷山)になったことを裏付けている。この二つの文書の記述から、入会山がその土地土地の実情に応じ、薪をとる山であったり、草刈場であったりすることがわかる。入会山は、むらの共有財産として村人の総意によって運営されていた。」
##さらになお、江戸時代の虫害駆除について 「「豆知識 江戸時代は無農薬・有機栽培?」」 というページに、次のような面白い記述があった。
「江戸時代の人たちはどうしていたのでしょう。天候不順に伴い、病害が発生したり、イナゴの大群によって全滅したこともしばしばあったことでしょう。しかし、このような被害に対してまったく無力だったことと思われますが、1800年代になって虫害駆除の画期的なアイデアが生まれました。
田の水を堰き止め水を温めておき、そこへ壷に入れた鯨油を一坪に一さじずつ入れると田んぼ全体に広がります。稲を押し倒して虫を落とし、あるいは藁ぼうきで水をかけて虫を落とし、殺します。これをひと夏に3〜4回繰り返して結局1反に1升4合の鯨油が必要だったそうです。病気は防ぎようが無く、飢饉の原因ともなりました。
肥料は「金肥」の欄で説明したように、江戸時代以前は若草や若葉を田に敷きこみ(刈敷)ましたが、やがて干鰯、油粕、人糞、藁灰などが用いられるようになり、文字通り、有機栽培でした。」##
今日はここまで。

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