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2004.10.04

五街道とはどの街道をさすのか

今日も朝からしとしとと秋雨が続いている。ベランダ越しに見えるキンモクセイとギンモクセイの花は満開になって、雨の中に濡れて輝いている。その先に見えるサルスベリの花の塊は小さくなって、繁る葉の中に埋もれて消え去ろうとしている。
秋雨を眺めながら「日本史小百科 交通」を読む、の続きである。

「2.道と旅」の中の「五街道と脇往還」・「「五街道」の概念」の出だしを読むと、「1758(宝暦8)年、江戸大伝馬町の伝馬役を統括する馬込勘解由が、大目付依田和泉守政次の番所へ呼び出され、五街道とはどの街道をさすのかとの質問を受けた、勘解由はその場で即答できず、道中方御勘定の谷金十郎に確認し、改めて大目付番所に報告している。つまり、この時まで「五街道」の概念は、街道伝馬役を統括する立場の者にすら認識されていない、きわめて曖昧なものであったということができる。」
ここを読んで私は思い出したことがある。現職の時代に何事か話をしていたとき”五街道を知っていますか?”と突然聞かれたことがあった。私は考えて返事をしたが4街道しか挙げられなかった。
日光街道が出てこなかったのである。数え上げたのはは東海道、中仙道、甲州街道、奥州街道の4つであったことを今でもよく覚えている。五街道の本を読んでいた同僚がその本を取出し色々と説明をしてくれ、そのとき中仙道が江戸から出るときには北上していくことも知ったのである。
「五街道」の概念」のつづきは「そもそも、「五街道」の呼称が利用され始めたのは、1659(万治二)年に道中奉行が設置され、その管轄下になった街道を指して略称したことによっている。」とあって、江戸が開かれて60年後には「五街道」の呼称があったという。
次の「五街道」を読むと「なお、東海道にのみ「海」の字が使われるのは、1716(享保元)年に幕府が出した触のなかで、東海道は海端を通るので海道と呼び、それ以外は道中と呼ぶことを規定したことに由来する。また同触では、中山道は以後「中仙道」と書かないことも取り決められている。」とあり、江戸時代の匂いも少し知った。
今日はここまで。

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