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2004.11.28

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-01 「井之頭のあらまし-1」

最近気になっている「荒御霊と和御霊とは何を表している言葉なのか」を探っているうちに、本棚から「井の頭史跡散歩」を見つけてしまった。読んでいるうちに、内容をほとんど覚えていないことに気がついたのである。
刊行の言葉、「井の頭は都心に最も近い憩いの場として、年間数十万人の人々が訪れます。古代より湧水を求めて人間の住みついたこの地は、風景の美しさと共に、歴史のうえからも興味深い物語や伝説を伝えております。井の頭を散歩するには美景の中をそぞろ歩きながら、往時を偲ぶ史跡のかずかずを尋ねれば楽しみは一層に深まります。ご来園の方々の散策の手びきとして本書を刊行しました。」を読みながら、この本を読もう、そう思ったのである。
本の構成を見ると次のようになっている。
井の頭公園史跡散歩
付/やさしい三鷹・武蔵野市の歴史
*井の頭史跡散歩・・・・・・・・・・(写真と文)柳 公子
*三鷹市の歴史・・・・・・・・・・・・・・・・・赤木ぼく
*武蔵野市の歴史・・・・・・・・・・・・・・・・松岡六郎
この構成の通りに「井の頭史跡散歩」から「井の頭のあらまし」を、次に「三鷹市の歴史」、次に「武蔵野市の歴史」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「井の頭のあらまし
 井の頭公園は、御殿山と井之頭池から成り、面積八万七千坪(二十八万七千平方m)余で、そのうち御殿山は武蔵野市の域内で、井之頭池は三鷹市に属している。
 井之頭池を中心とする八キロ平方mほどの地域には、約二百ヶ所の石器時代の遺跡があり、一万年以上も前の人類の生活地であった。上代になると、大陸半島から渡ってきた帰化人たちの定住地となり、狛江は井の頭池のことを意味したとも言われている。井の頭池をめぐって、古くから人跡の絶えなかったところであり、この湧水地の恩恵に浴した人たちは水神を祀り、弁財天を祀った。江戸時代になると、弁財天の御利益と池畔の風致に誘われて遠出する市民が多くなり、「右井之頭みち」などの道しるべが建てられるようになった。また幕府はこの池を神田上水の水源としてまわりの林とともに保護し、江戸市民ののどをうるおした。」
私は武蔵野市吉祥寺に生まれ住んで、子供のころから井の頭公園に遊びに行っていたが、井の頭池が三鷹市であるという意識はなかった。井の頭池に降りる寸前まで武蔵野市の領域であったからかもしれない。
私の家から井の頭公園と反対方向に同じくらい歩いていくと善福寺公園があるが、こちらは杉並区であるという意識をもって遊び歩いていたのである。
井の頭の辺りに帰化人が定住し狛江は井の頭池を意味していた時代、今、井の頭池をめぐり歩いて思うには遠すぎる時代のようである。それでも太古から人が住み続けてきていることを感じてみよう、そう思う。
下って江戸時代、昔は 江戸町民 といっていたように思うが、いつの間にか江戸市民になっていることに気がついて、少し戸惑っている。
今日はここまで。

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