« 陳舜臣の「上海雑談」を読む-01 | トップページ | 陳舜臣の「上海雑談」を読む-03 »

2004.11.06

陳舜臣の「上海雑談」を読む-02

オスマン・トルコというとトルコ行進曲を思い出すのが、私にとっては精一杯である。ウエブで調べてみると、モーツアルトもベートーベンも「トルコ行進曲」を作曲しているという。あのチャルメラみたいな楽器の名はズルナというということも知ったのである。
この「上海雑談」の中から気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「たとえば、19世紀以前のオスマン・トルコの時代では、みんな仲良く暮らしてきたんですよ。イスタンブールにおけるミッレト制がいい例です。ミッレトというのは一種の自治体のことで征服した、あるいは統治している王朝が、そこに住む民族や宗教や風習の異なる人たちをそのままで存在することを許容し、彼らの自治を認める制度のことですね。
前述しましたが、オスマンのメフメット二世が1453年にビザンチン帝国の首都コンスタンチノープルを陥落させ、そこをイスタンブールとして、オスマン・トルコ帝国の首都にしました。メフメット二世はイスタンブール復興のために、アナトリアやバルカンなどオスマン・トルコ領にすむ裕福なトルコ人、ギリシャ人、アルメニア人、ユダヤ人、ブルガリア人、セルビア人などを強制的に移住させることにしたのです。ただ彼らの宗教は、ギリシャ正教、アルメニア教、ユダヤ教と異なっていました。宗教が原因でトラブルが発生することが多いことから、オスマン・トルコ政府は、彼らそれぞれに宗教別の自治を認めたのです。ミッレトにはそれぞれに代表者がいて、自分たちの内紛や租税納入などについて責任を持っていました。それぞれに独自の法律や法廷さえあったのです。イスタンブールでは、いろいろ異なる民族が、このミッレトの恩恵を受けて、固有の風俗や信仰を守りながら、平和に暮らしてきました。一種の棲み分けですよ。モンゴル時代の中国と同じですね。税金を払って、自分たちは自治をおこなっていたのです。それで何百年も平和に暮らしていました。それが壊れて、国家の権力がのさばり出てきてから、今のようなかわいそうなことになったのです。」
私は、ミッレト制について聞くのも見るのも初めてであるが、戦って戦って広大な帝国をつくりあげたあと、ではどうやってこの帝国を平和に治めるのか、ミッレト制は人間の知恵がなせるワザなのだな、と思った。
このような過去の遺産を学ぶこともなく、アメリカはテレビゲームのように仮想敵と戦いを始めたが、スイッチを切って終わりにするというわけにはいかない現実に直面し、打つ手は戦い続けることしかないところがまことにかわいそうである、そう感じたのである。
今日はここまで。

|

« 陳舜臣の「上海雑談」を読む-01 | トップページ | 陳舜臣の「上海雑談」を読む-03 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/12847/1882062

この記事へのトラックバック一覧です: 陳舜臣の「上海雑談」を読む-02:

« 陳舜臣の「上海雑談」を読む-01 | トップページ | 陳舜臣の「上海雑談」を読む-03 »