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2004.11.29

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-02 「井之頭のあらまし-2」

井の頭公園は子供のころの遊び場で、ごく小さいころには遠征であった。大きくなって御殿山の林の中を通り抜けていたころ、 イヌシデ の幹はまだ若々しくほっそりとしていて、樹冠から漏れる強い日の光に下草が鮮やかに燃えていた。
「井の頭のあらまし」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「明治維新後は皇室の御料地となり、大正二年十二月に東京市へ下賜されて井の頭恩賜公園となり、現在は東京都の公園として都民に親しまれている。
 御殿山は園の北西部、現在自然文化園になっている地域で、ここは江戸の初期に 三代将軍家光
が遊猟のために館(やかた)を設けたので御殿山の名がついたが、御殿が廃止された後は御林とよばていた。
 御殿山の下方に、公園地東半部を占めるのが井の頭池で、広さは池畔とも四万五千坪(十四万八千五百平方m)、太平洋戦争の末期までは鬱蒼とした杉の巨木に囲まれ、池は澄明で底深く、葦や藻の間に群れる水鳥の影も濃く、野趣にあふれていたが、戦時中、巨木のほとんどを伐採し、加えるに戦後の都市化の波が緑を減少せしめ、地下水の汲み上げもひびいて池の水が年ごとに少なくなり、汚濁して憂慮すべき状態となっている」
御林という言葉は聞いたことがあった。ウエブ検索してみると、 御林 は江戸時代に領主が管理していた山林で今でいう国有林である。こうして水源は手厚く守られてきたが、杉の巨木を伐ったことと地下水の汲み上げによって、今では神田川に流れ出す水流は見る影も無くなっている。泉としてはお茶の水がかろうじてその影を留めているにすぎない。神田川から池ノ端を回り歩くたびに、その少ない水の流れが気にかかるのである。
今日はここまで。

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