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2004.11.30

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-03 「三鷹市のおいたちと地名の由来・三鷹村の誕生」

井の頭公園に遊びに行っても三鷹についてほとんど知るところはなかった。武蔵野町に生まれた私は小中学校を武蔵野町と武蔵野市で送り、立川市の高等学校に入って初めて中央線吉祥寺駅以西の東京の市や町や村を知ることになったのである。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市のおいたちと地名の由来・三鷹村の誕生」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「三鷹村は、今から八十五年前、明治二十二年に生まれた。前年の明治二十一年に公布された市制町村制にもとづいて、牟礼(むれ)村、下連雀(しもれんじゃく)村など、それまでの十ヵ村が合併して、ひとつの村を作ったのである。このことは近隣の武蔵野、小金井などの緒村とおなじとき、おなじ制度によって、おこなわれた。
 初代村長は高橋美種、収入役は箕輪権右ェ門という人であった。村のおもだった人が集まって村の名を何と名づけようかと相談したが、なかなか名案が浮かばなかった。何も特徴がない地勢であって、この地区を代表するようなものは考えつかない。
 「武蔵野」が良いのではないかとなったが、お隣で先に「武蔵野」村ときめてしまった。そこで鷹場村であったことにちなんで、三鷹村と名づけたといわれている。しかし、ちゃんとした記録がないので、後になって、「三鷹」の「三」は何を意味しているのかわからなくなってしまった。
  1 御鷹場が三ヵ所あったから。
  2 御鷹場の碑が三本あるから。
  3 「御鷹場村」の「御」が、みと発音され、それが三にかわった。
 などといわれていたが、事実とちがっていたり、理由づけにむりがあり、本当のことはわからないままだった。」
私はここまで読んで思う。この本が出版されたのが昭和五十四年だから、今年平成十六年からは百十五年前になる。もし、武蔵野村が村の名前をきめるのに時間がかかったいたら、村の名前はどうなっていたかわからなかったな、と思ったのが最初の感想である。三鷹という名前になったいきさつが失われていた、ということも知らなかった。でも私の住む吉祥寺東町の近辺にもにたようなことはあるのである。
今日はここまで。

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