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2004.11.08

陳舜臣の「上海雑談」を読む-04

聞いた話しでは、中国人は北と南で言葉が違い全く意志が通じないことがあると言う。また都市部と農村部では風俗習慣も違っていると言う。明治時代の日本のようだな、と私は思ったものである。
この「上海雑談」の中から気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「中国には歴代、さまざまな民族が侵入していますから、中国人を何か純粋な民族や文化として定義するのは無理でしょう。歴史の中で語り伝えられた物語の集積、特にそこに描かれた「これが中国だ」という観念こそが中国人をつくっているような気がするんです。中国では、王朝が交代するごとに前代の文化を切り捨てたので、だから神話がほとんど残っていません。中国人は総じて平民的です。庶民の心のなかに伝わるものこそ中国にちがいない。王朝の興亡を繰り返してきた中国ですが、イギリスと戦ったアヘン戦争を機に、国際関係の渦のなかに引きずり出されたのですね。」
私はここまで読んで思う。中国と日本は民族に関してはちがうという人が圧倒的に多いが、私はそうは思わない。だから「日本には歴代、さまざまな民族が侵入していますから、日本人を何か純粋な民族や文化として定義するのは無理でしょう。」と言い換えてもよいのではないかと思っている。
日本人は徳川時代を通じて、徳川家の武士支配の範囲に入っている人々を同質な日本人家族とする認識が定着していって、明治になって一挙に日本国と日本人が誕生したように思えてならない。日本国に対する帰属意識を高めなくてはならなかったので、天皇と天皇の赤子という思想を誕生させている。その後、朝鮮を天皇家の武士支配の範囲に入れたとき、同質な日本人をつくるために、朝鮮人に対しても天皇の赤子であるという、日本人化教育を徹底している。つまり神社をつくり日本語教育をし赤子に組み入れたのである。
「これが日本人だ」という日本人の観念は誰がつくったのであろうか。明治時代、日の丸が国旗、君が代が国歌として法制化されてはいない。それは明治時代において天皇は国家の上に君臨していたから、天皇旗より格下の日の丸や、天皇を褒めたたえる歌である君が代を天皇より格下の国家が法制化すること自体、不敬だとされていたからだと言う。
現在、天皇は日本国憲法の中で「国民統合の象徴」と既定されているから、明治時代とちがって日の丸が国旗、君が代が国歌として法制化されても天皇に対する不敬にはならないが、問題は国民の側にあって、「お上」がまだ国民意識の中に厳存している状況下で、負の遺産としての日の丸、君が代が法制化されたならば、再び負の世界の再現に道を開くことは必定だからである、いうことなのであろう。いまだに「これが日本人だ」という観念は定着していないようにみえる。それは日本が庶民の国ではなくお上の国だからであろうか。
今日はここまで。

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