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2004.11.12

陳舜臣の「上海雑談」を読む-08

モンゴルは突如として軍事的に立ち上がり、かってない早さで領土を広大なものにしていった。その広大な領土の中の人たちはモンゴルをどう理解していったのだろうか。
この「上海雑談」の中から気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「耶律楚材のような人が出て、攻撃と殺戮を旨とするモンゴル的思考を辛抱強く文明の方向に向けるべく尽力しました。ところが、モンゴルは自分たちの領土をもっと広げたいので、それに反対する人を粛正しようというような、現代と同じようなことをやるんですね。私は、つねに社会全体のことを考え人々の幸いを願う耶律楚材的な考え方のほうが強くなることを祈るわけですが、このように権力から人びとの平和を守ろうとする人たちを守り立てていこうというのが現代に生きるわれわれの務めではないかと思います。」
私はここまで読んで思う。領土を広げたいという理由はただ一つ、獲得した領土が部下たちに配分されるから、そのために部下たちが死にものぐるいで恩賞にあずかろうとするからである。このような構造は今でも全く変わってはいない。つまり、私有財産の構築の機会なのである。
問題はそのために人がたくさん殺されるということであるが、人ばかりではなく生きた文明も同時に破壊されることになる。このようなとき、文明を守ろうとする人が立つのもまた必然なのであろう。
文明はみな、戦争の上に築かれてきているから戦争を避けようとするのは必然であるが、戦争もまた必然的に起こってくるとしかいいようがないのである。
天体の運行のような正確さではなく、火山の噴火や台風のように戦争も平和も文明も必然的に興ると言えるのではないだろうか。私はそう確信するようになってきている。

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