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2004.11.15

陳舜臣の「上海雑談」を読む-11

歴史は事実の羅列ではなく、それを語るものの解釈のもとに編集されている。その素材となる事実も、それを伝えるものの解釈によって伝達されている。その事実は,事を見たものの解釈によって実となっている。歴史に幾つもの解釈があるとき、その原因は編集者にあるのか、事実の伝達者にあるのか、事を見た者にあるのか俄にはわからない。そう私は思うのである。
この「上海雑談」の中から気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「私たちは、「パックス・タターリカ」をモンゴル帝国だとか元王朝だとか、いろいろ、あとで意味を付けていますけれども、本人たちはそう思っていないですね。元王朝の滅びるときもあっけないもので、大戦争がないのですよ。元が興ったときの、抵抗するやつはひとり残らず殺し、降伏する奴は許すというあれと同じですよ。敵が来た、これはもう逃げようということです。
モンゴルは北から来て、中原に王朝を樹て、今再び北に去っていきました。あれは滅亡というよりは、北に逃げる、「北走」という表現のほうが適当かもしれませんね。そのあと、北方で自分たちの国をまた、つくっているんです。歴史家はこれを「北元」と呼んでいます。
あの人たちは、「滅びる」という言葉をあまり使いたがりません。つまり、これが遊牧の基本的な姿勢じゃないかと思いますね。全体からすれば、遊牧民に通ずる一定の規則とか,法律とまでいかなくても決まりがある。それさえ守っていれば、安全だという世界ね。二十一世紀を迎えようとしている今日、そんな世界ができないかなと、私は思うのですが・・・・・」
ここまで読んで私は思う。歴史上一時期を画したモンゴル元王朝は興るのも滅するのも素早かったが、「税金さえ払えば安全」な世界を作ったという印象を歴史に残している。
守ることのできる決まりを守り、払うことのできる税金を払えば安全に暮らせるという世界、二十一世紀にはたったこれだけのことが実現するだけでいい。陳舜臣にならって私も思うのである。
今日はここまで。

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