« 武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-03 「三鷹市のおいたちと地名の由来・三鷹村の誕生」 | トップページ | 武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-05 「三鷹市の歴史・村々のなりたち」 »

2004.12.01

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-04 「三鷹市のおいたちと地名の由来・三鷹村の誕生」

高校時代に三鷹市下連雀や牟礼からきている友人がいて、三鷹市の地名も身近になっていった。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市のおいたちと地名の由来・三鷹村の誕生」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「昭和30年ごろ、郷土史研究家の藤原音松、山岡徐林両先生が、それぞれ別々に、下連雀の旧家、渡辺家の文書を調べていて、先代の万助氏の書かれたものの中に、村の成立の記事をみつけられた。それには、三領の鷹場村が合併して三鷹村となった、と書かれていた。
 これによって、江戸時代、のちの三鷹村を構成した十か村は、次のように三つの領に別れていたところから命名された、といまではいわれているのである。
  府中領    上、中仙川
  世田谷領   北野、野川、野崎、大沢
  野方領    牟礼、上・下連雀、井口
 しかし江戸時代の区割りは、今の行政区画をあつかうように考えると判然としないことがあるのはやむをえない。「領」という地分けもわかりにくいが、そういうわけ方もあったと考えておこう。
 三鷹ができる前には「三鷹」という地名は、どの文書にもみられないので、村の成立のときに作られた地名であることはまちがいない。
 今でも町村合併のとき、新しい市なり町なりの名を定めるのに、いろいろ、いきさつがあって、当事者が苦労するのとおなじであろう。」
私はここまで読んで思う。三鷹の名前の由来をどこかで聞いていた覚えはあるが、それは三領の話ではなかったと思う。ここに出てきている野方は、現在西武新宿線の野方駅近辺とは関係ないと思うが、野方という地名が出てきているのには驚いている。つまり「野方」という地名はかなり一般的な名前なのだということかも知れない。
それにしても、明治の昔は村の名前をきめるのに極めて少数の人しか関わっていなかったようであり、面白いことだと思ったのである。
今日はここまで。

|

« 武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-03 「三鷹市のおいたちと地名の由来・三鷹村の誕生」 | トップページ | 武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-05 「三鷹市の歴史・村々のなりたち」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/12847/2124828

この記事へのトラックバック一覧です: 武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-04 「三鷹市のおいたちと地名の由来・三鷹村の誕生」:

« 武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-03 「三鷹市のおいたちと地名の由来・三鷹村の誕生」 | トップページ | 武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-05 「三鷹市の歴史・村々のなりたち」 »