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2004.12.03

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-06 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・下連雀」

下連雀という名前を知ったのは何時だったか、多分中学生のころだったように思う。その頃中学へかようには、吉祥寺駅から電車に乗り三鷹駅に降りていたからである。三鷹駅の南側が三鷹町下連雀であり、人食い川(玉川上水)の南側も三鷹町下連雀であることを知っていた。下連雀という音のひびきに面白みを感じてもう久しい。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・下連雀」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「下連雀は三鷹駅の所在地で、市内一の繁華街である。東南につらなる住宅地は、畑地を全部つぶしてしまった。山本有三氏の旧居で、今は東京都の教育研究所分室、有三青少年文庫のある、玉川上水ちかくは、比較的大邸宅がそろっている。
 連雀という地名は、何か意味がありそうに思われるであろう。雀がたくさんいる農村風景や、雀が群がっているありさまを考えつくかもしれない。実は、江戸市内、神田連雀町の町人たちが、集団移住して開墾した村で、その旧地の町名にちなんで名づけた村名なのである。
 もともと神田の連雀町は、行商人などの集まり住んでいた町であった。連雀とは、こうした行商人などが、荷を背中にせおってはこぶ、道具の背負い紐のことであって、その背負い具の名称でもあったともいわれる。
 また、連雀町という町名は、よその城下町など各所にみられる。山梨県の甲府市では駅前の繁華街になっているところが連雀町である。こうしたことから、城下町に集まってきた小商人の町であったと思われる。
 人口がふえ、武家屋敷や町家がどんどん建てられていった江戸の町は、しばしば大火に見まわれた。そのたびに町並みの整理がおこなわれた。類焼を防ぐ空き地・広場として火徐地が計画され、土地を取り上げられた町人に、茅場千町野などとよばれていた荒地が与えられ、移住してきて村を開いたのである。武蔵野市の吉祥寺、西久保など、おなじように江戸市中から移住してきたものである。」
ここまで読んで私は思う。行商人が集まって住んでいる町、その名も連雀町ということを知った。あるとき突然住居を奪われ、荒野に行かされたうえ慣れない農業をしなくてはならない、そういう時代であったことも知った。
今まで考えたこともなかったが、吉祥寺にきた人たちもまた、江戸の生活とは全くちがった生活をここで始めていたのかもしれない。
今日はここまで。

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