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2004.12.06

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-09 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・井の頭-2」

井の頭公園の散歩では、ひょうたん池の方から歩いて狛江橋のたもとにいたり、まっすぐに弁財天の方に行くか、橋を渡って七井橋の方に行くか、その時の気分などで決めている。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・井の頭-2」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「井の頭池のほぼ中央に七井橋がある。大勢の遊覧客が池中の大鯉に餌を投げたりして、にぎやかな橋である。昭和27年にかけかえられたときに、一般から公募して、七井橋と命名された。池の中の七ヵ所から清水が湧いて、旱のときもかれることがないという言い伝えから選ばれた名である。
 前にもちょっと触れたが、弁財天信仰をいまいちど考えてみよう。古代人は水の精を蛇としたり、古池の主を水の精ーー蛇として水神を祀った。仏教の伝来にともない、インドの水神である弁財天も伝わって、もともとのわが国の水神とひとつになって弁天信仰となったのである。そしてのちに、福禄寿、布袋、大黒天などとともに、七福神に数えられて、財宝を授ける神様として信仰されるようになった。江戸時代も太平がつづいて中期ごろになると、江戸町民の弁天信仰とともに、絶好の行楽地となり、小金井堤の花見などを兼ねて足をひくものが多かった。甲州街道を高井戸から分かれて久我山、牟礼村と通ってくる道などの要所要所に「井のかしら弁天道」などの石の道標が立てられ、弁天堂の周辺には、鳥居、石灯籠、手水鉢、石橋などがたくさん寄進され、弁天信仰が盛んであったことを示している。」
私はここまで読んで思う。七井橋と橋の名を知ったのはまだ10年たっていないが、昔子供のころ木の橋だったこの橋の名はなんとよばれていたか、思い出せないままでいる。弁財天の神主の息子さんと小学校の同級生であったから、弁財天社の脇の受付を見るたびにそのことを思い出し、今ごろどうされているか気にしていた。いつか同窓会で会ったときの話では、小学校の卒業後まもなく引っ越していたという。
弁財天のまわりの池の水は淀んでいて、よく亀が越冬していると聞いていたが見定めたことはない。
今日はここまで。

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