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2004.12.08

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-11 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・牟礼村」

牟礼という音と文字を知ったのは中学生のころだと思うが、面白い音と文字だと思った以外に関心はなく、井の頭池が牟礼であることも知らなかったのである。高校生のころ牟礼や下連雀のほうからきていた友人がいて、なんとなく身じかに感じるようになったのである。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・牟礼村」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「井の頭から南のほう、玉川上水をこして、三鷹台団地から久我山、烏山のさかいまでが牟礼村であった。
 牟礼と書いてムレと読む。牟はあまりなじみのない字である。そこで、ムレの音に字をあてたように思われがちで、アイヌ語などから地名ができたのではないか、などといわれたこともあった。小田原北条時代の「小田原北条分限帳」に、「大橋九貫文無連高井堂」と書いてあり、この無連が牟礼、高井堂が高井戸のことと読まれている。江戸時代になると無礼村と書かれることが多くなっているが、文化十三年(一八一六)に、「無礼村」という文字を書いているが、古い時代使っていた「牟礼村」と改める、という趣旨の文章も残っている。また、鎌倉時代に牟礼氏というものが居住していたから、牟礼居野といったとか、牟礼居とは、集まり居るの意味だとか、ともいわれている。
 ムレはムラと同じで、集落をさす古語であるとするのが妥当ではないだろうか。古く大陸からの移住者が開いたといわれる玉川中流の狛江郷や深大寺の地とつながるものとして理解したい。」
私はここまで読んで思う。牟礼という文字をキーワードにウエブ検索してみると、牟礼という文字が使われている地名は三鷹市のほかに、香川県、滋賀県、新潟県、長野県、福岡県、山口県、大分県といくつも見つかる。狛江について同様の検索をしてみると、こちらは東京都の狛江市くらいしかヒットしない。
牟礼というのは「ムレはムラと同じで、集落をさす古語であるとするのが妥当ではないだろうか。」という推定が正解のような気がする。
今日はここまで。

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