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2004.12.09

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-12 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・仙川村」

千川と仙川を私はよく取り違えている。それらの川の名前と地理を確実に認識していないせいらしい。私の縄張りは、井の頭池から流れ下る神田川と善福寺池から流れ出している善福寺川が堺なのである。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・仙川村」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「仙川村
 仙川は上、中、下の山村に分かれていた。上仙川は現在の新川の南部、住宅公団新川団地の周辺で、新川本町と通称されていた。中仙川はだいたい現在の中原の地区である。下仙川は調布市の中に入っている。おおむかしのところで書いたように、この地区は地勢の変化に富み、湧水も多く、仙川の水源であった。古代の遺跡もあり、歴史以前から人の住んでいた所である。仙川という川は、この辺に数多くあった湧水を水源として東南方へ流れ、末は野川とひとつになり,多摩川に合流する川である。しかし近年、多摩地区の人口増加、開発によって、はるか上流の小金井から武蔵境、連雀地区を貫き、仙川につながる水路ができ、これを全部、仙川と名づけている。歴史を調べるときは、十分気をつけて区分しなければいけない。
 さて、仙川村の名のおこりは、諸説ある。湧泉のたたえた水によってつくられる地の形が釜に似ているところから、湧泉を釜とよぶようになった。そして、それが数多くあるのを千の釜、千釜といい、それが訛って仙川となった、というのが一つである。また、この地に一本の老松があり、その根元に仙人が住んでいた、ためにその松は仙人の松とよばれ、そこから流れ出す川を仙川というのもある。あまり信用できる説でもなさそうだ。そうした湧泉は、池や幾本もの細流となって田をうるおしていたが、流れは改良された一本の仙川となり、丸池とよばれていた沼地も埋めたてられ、児童遊園の片隅に、記念されているにすぎない。」
私はここまで読んで思う。仙川も千川も実在する川であって、ウエブ検索するとこの2つの川は東京にしかないことがわかった。仙川も千川も、川の名前としては全国にあってよさそうなものであるが、江戸にしかないのはどうしたことだろうか。それにしても、この二つの名前を区別なく呼んでいる人は私だけではないらしい。武蔵野市に市立千川小学校というのが現在あるのだが、仙川小学校と書いている人がヒットしているのをみると、「せんかわ」と「せんがわ」の区別をしていないようである。
はたしてこの2つの名前に、過去にさかのぼる関連はなかったのであろうか。
今日はここまで。

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