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2004.12.10

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-13 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・野崎村」

野崎八幡 という八幡様の名前を聞いたことはあるが、行ったことがあるかどうか覚えていない。野崎という地名にも引っかかるものがあるのだが、それがなんなのか、どうしても思い出せない。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・野崎村」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「野崎村
 野崎村は北野、野川などと同じころ、連雀よりややおくれた時期に、深大寺(今は調布市内)や仙川方面の農民によってひらかれた。
 市庁舎の位置から人見街道ぞいにその南側を約二キロ、幅せまく、開発当初は十七軒の農家だらけの小村である。享保の幕府の新田開発奨励の時期に北側の新田分が開かれたが、ここには十三戸が入植した。明治二年の絵図面によっても南側(本田分)十九軒、北側(新田分)十四軒、人口一五五人である。わずかに砂川用水の水利はあったが、水田は皆無で、絵図面に付記してある村勢概況には、
 一、土性灰野土にて至って粗土であります。
 一、生産は、大麦、小麦、ソバ、アワ、ヒエが出来ます。
   桑、茶、蚕はありません。(明治・大正にこれらのものは作られた。)
 一、旱害のおおい土地です。
などと書いてあり、また、
 一、農間男女の稼ぎ、男は農間に薪を取り、東京に持ち出して売ります。女は薪取出しをします。とも書いてある。
 こういう土地がらだったのであるから、村のくらしは困難なものだったろう。」
私はここまで読んで思う。吉祥寺駅から神代植物公園や深大寺にバスで行くとき、 野崎八幡 の横を通り抜けていて、よく見ている小さな八幡様であることを思い出したのである。人見街道の野崎の信号を曲がって武蔵境通りに入るとまもなく、頭八道路に出る直前の右側にある。機会があったらバスを降りて参拝してみたいと思う。
今日はここまで。

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