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2004.12.11

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-14 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・大沢村」

大沢というバス停に下りたことがあった、どこと特徴があるわけでもない住宅地であった。近くに三鷹天文台やキリスト教大学があるという。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・大沢村」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「大沢村
 水源を国分寺、恋ケ窪に発する野川は、古多摩川の流跡の北限であり、北側に十メートル程度の崖をともなって東南の方向に流れている。この長くつづく崖を土地では「ハケ」と呼び、地理学者は「国分寺崖線」と名づけている。崖面からはいたるところに湧泉があり、野川の水流を豊かにしていた。そのため野川沿いには早くから水田がひらかれていた。近世に入ると、箕輪将監が定住して大沢村がひらかれることになる。箕輪将監が、どこから移ってきたか明らかでないが、この地へ来る直前は、多摩川上流の沿岸にいたのではないかと思われるのは、天正十八年の太閤禁制書が箕輪家に伝わっていることなどからである。
 太閤禁制書とは、次のようなものである。
    禁制  武蔵国多西郡内
            たかはた村
            同河辺七か村
   一、 軍勢甲乙人等 乱妨狼藉事
   一、 放火事
   一、 対地下百姓 非分之儀申懸事
   右条々堅令停止訖 若於違犯之族者 忽可被処厳科者也
    天正十八年五月 日  (秀吉朱印)
 文中の武蔵国多西郡内「たかはた村」は高幡村で、「同河辺七か村」は浅川沿いの七か村で、現在の日野市南平、三沢、落川、程久保、平山、豊田、川辺堀之内にあたる村々の地域であろう。」
私はここまで読んで思う。武蔵野台地の開発は江戸からのもの、近在から移ってきたものなどがあることを知った。また古多摩川というのがあって野川はその水源であったことも知った。三鷹市にはこうして多摩川流域と神田川流域の分水嶺があることも知ったのである。この分水嶺は、どこにどのように嶺をなして連なっているのだろうか興味のあるところである。
今日はここまで。

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