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2004.12.12

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-15 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・上連雀と井口新田」

井口という名前は井口新田として、また武蔵野市の市会議員の名前として聞いたことのある名前である。むかし三鷹中央病院にいっていたとき、井口院の前を通るので、お不動様であることはよく知っていたが、それ以上に深く知るところはなかった。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・上連雀と井口新田」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「上連雀は、下連雀などと同じく札野新田などとよばれるもので、検知は寛文十二年(一六七三)におこなわれている。豊島郡関村の農民権三郎が開発して、その子孫の代々の権三郎が名主をつとめたといい、始めは連雀前新田ととなえていた。
 関村は現在の練馬区関町である。井口家について、「練馬区史」には次のように記されている、村の旧家、井口家の先祖は相州三浦の平らの一丈入道で、三祖、三浦弾正は平らの義清といい、永正十三年(一五一六)上杉顕定、憲房父子に味方し、北条早雲と戦った。後、上杉家離散とともに、伊豆走水庄井口の郷にかくれ、元和年間(一六一五 〜 一六二三)武州豊島郡関村に土着したといわれる。四祖井口源治信重は元和五年の大坂夏の陣に従軍して戦死した。その際の送り状(戦死通知)が井口家の保存されている。六祖八郎右衛門の代の寛文年間(一六六一 〜 一六七二)に関村周辺の札場千町野の開発が進められている。そして、関村以下十二ヵ村の総代名主をつとめている。井口家は、この地一帯の勢力をもっていたのであろう。関前(武蔵野市)、大宮前(杉並区)、連雀前は直系の一族が開墾にあたっており、村名に「前」の字をつけている。上連雀の村高は六四五石五斗あまり、面積は二八〇歩ほどで、下連雀の二倍よりも広い。」
私はここまで読んで思う。西武線の関駅や関公園にもむかしよく行っていたし、武蔵野市の関もバスでよく通ったが、それらが井口家の縄張りの範囲であったことは知らなかった。この文章を読んで、井口という名前について更にもっと知りたいと思うようになったのである。
今日はここまで。

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