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2004.12.13

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-16 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・上連雀と井口新田-2」

連雀通りに面している井口院にいちどお参りしたことがある。そのとき、院の名前を「いこういん」と呼ぶことを知ったのである。お不動さんがあって、なかなか立派なお寺である。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・上連雀と井口新田-2」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「享保期、武蔵野新田が大々的に開発されたとき、上連雀村の新田として、西方の地につづきひらかれたのが井口新田である。上連雀新田と書かれた文章もある。上連雀と井口の境が塚とよばれている。二つの塚があった跡といわれるが、よくわからない。上連雀の鎮守神明社と、真言宗井口院がある。井口院は中野宝仙寺十九世の清長という僧の開山、開基は井口権三郎である。威光院と称していたのを井口の姓とおなじの井口院に改めたという。井口家は代々、小樽村(現、練馬区大泉)の妙福寺の檀家で、日蓮宗であって、真言宗の井口院とはいろいろないきさつがあったらしい。その後、井口新田に蓮源寺(または蓮華寺)を菩提寺として建立したが、文化、文政の頃にはすでに廃寺されていて、鬼子母神像などは井口院に安置されている。蓮源寺あとは、井口家ほか数家の墓地として砂川用水ぞいに今ものこっている。」
私はここまで読んで思う。境に塚をおいて塚とよぶらしいというのも面白い。 井口院の不動尊 は一度しか見たことはないが、江戸時代の複雑な宗教事情の一端がうかがえてこちらも面白い。何気なく通り過ぎている井口院前であるが、折りがあればもう一度お参りしてみたいと思う。
今日はここまで。

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