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2004.12.15

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-18 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・鷹場-2」

鷹狩に使う鷹はどこで捕らえてどこで育てていたのだろ。だいぶ前に、鵜飼の鵜の育て方を特集していたテレビを見た。川鵜は井の頭公園でも見るし、海鵜は九州南端の鵜戸神宮で見たことがある。しかし鷹は見たことがない。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・鷹場-2」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「その後、元禄のころ五代綱吉の時代に、有名な生類あわれみの令などが出て、鷹狩りはおこなわれなくなり、鷹が解き放たれたり、鷹場村の制度も廃止された。しかし、享保元年(一七一六)八代将軍吉宗は、江戸幕府の制度をひきしめるため「享保の改革」を断行した。その趣旨により、士風の一新、武道奨励をはかる目的で鷹場の制度を復活するとともに、みずからもすすんで狩りをした。」
つづいていう。
「前述のように一時廃止された鷹野も、享保の改革によって復活し、整備強化がはかられた。江戸周辺のすべての村が、葛西筋、岩淵筋、戸田筋、中野筋、目黒筋、品川筋の六筋に地区割されて鷹場村々となったのである。
 中野筋には、多摩郡のうち三十四カ村、豊島郡のうち二十七カ村、江戸町方に属する十三カ町、合計七十四カ町村が含まれていた。
 多摩郡の三十四カ村を列記すると、
  本郷村 阿佐ケ谷村 上沼袋村 下沼袋村 新井村 上井草村  和田村 上荻窪村 下荻窪村 天沼村 田端村 成宗村 上鷺  宮村 下鷺宮村 大宮前新田 松庵村 中高井戸村 久ケ山村  和泉村 上高田村 片山村 高円寺村 馬橋村 江古田村    吉祥寺村 上連雀村 下連雀村 関前村 西窪村 境村 無礼  (今の牟礼) 中野村 計三十四カ村。
 これらの村の名は、今ものこっている。中野区、杉並区、武蔵野市、三鷹市の地図をひらいて確かめてみるのもおもしろいだろう。」
私はここまで読んで思う。六つの筋をはじめて知ったが、この筋は今でいう方面のことなのであろうか、道筋がついていてその筋のことをいっているのであろうか。そこで 筋についてウエブ検索 をしてみたらおもしろい 「筋と通り」 というページに出会った。さらに、「筋|通り」というキーワードで検索したウエブページ 「新庄町の町並み」 によってみると、通りというのは筋につけた個別の識別名ではないかと思われる。「道筋」というキーワードで検索したウエブページ 「市内の主な古道」 によってみると、筋と「道」について、筋とは道の数を数える単位であり、特別な道についてそれを筋と強調したいときに「道筋」といって使っていることがわかる。なお、「筋道」というキーワードで検索したウエブページ 「十分な考えの筋道を欠く日本外交」 によってみると、「筋道」は言葉としての領域が拡大して理論上の問題などを扱う言葉になっている。おもしろいことに 「愛知県東浦町緒川両筋道」 という地名まであるが、「両筋道」となっているところなど、なぜかと考えさせるものを持っている。
今日はここまで。

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