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2004.12.17

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-20 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・伝馬・助郷-2」

吉祥寺本宿に住んで長いが、吉祥寺村が高井戸宿の助郷であったことを知ったのはごく最近で、それがどのようであったのかまでは知る由もなかった。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・伝馬・助郷-2」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「三鷹、武蔵野両市や世田谷、調布などの村々は高井戸宿の助郷村に指定されていた。
 嘉永四年(一八五一)の高井戸宿助郷村一覧表ともいうべき「村高人馬平均書上帳」を見てみよう。
 上高井戸宿定助郷     惣代 柴崎村 名主 久次郎
                  下連雀村 名主 治兵衛 
 北組 北野、下仙川 野川、上仙川、矢ケ崎、中仙川、入間、小
    足立、金子、大町、柴崎、上給、佐須、深大寺(私領、御
    領)、下連雀、   、境、西窪、関前、松庵、吉祥寺、
    下染谷、関、                二三カ村
 南組 喜多見(私領、御領)、岩戸、緒方、岡本、鎌田、大蔵、
    弦巻、用賀、上野毛、下野毛、瀬田、世田ケ谷 十二カ村
                        計 三五カ村
 どれくらいの人馬が助郷に動員されたか。
        北組        南組
 嘉永二年(一八四九)
   人足 三九七三・五人    一三〇九人
   馬     六〇四匹     四〇三匹
 嘉永三年
   人足   四〇二三人    一五七八人
   馬     八〇六匹     三三四匹
 嘉永年代は、幕末動乱の直前で徳川の治世がつづいていた時と思われる。三五カ村で一カ年に五、五〇〇人ほどの人と、一、〇〇〇匹以上の馬が徴発されていたのである。
 文久元年(一八六一)の和宮の徳川家への降嫁は大事件だった。その道中は中山道をつかわれたが、人や荷の運搬はたいへんだった。道中の助郷も大増員された。この時期になると江戸・京都間の往来もはげしく、長州征伐のため将軍家茂の上京など、大動員がつづいた。明治維新のただ中、大政奉還の前後には、武蔵野、三鷹地区の村々に東海道の川崎宿から助郷の要請があった。村々から川崎まで一日、助郷役を一日ですませ、帰途に一日ということになる。
 江戸時代の農民は、年貢を納める以外に、鷹場関係の諸役、玉川上水維持のための負担、それに助郷など、いろいろな役目を負わされていたのである。」
私はここまで読んで思う。吉祥寺が高井戸宿の助郷の北組であったこと、助郷はかなり広い地域に渡っていたことなどを始めて知った。見聞きしたことのある地名が多いことも知った。
私領・御領をキーワードとしてウエブ検索してみたら、 「御料所」 という面白いページにであった。
そこには「江戸幕府の直轄領は,その初期には約240万石であったが,それ以後大名の改易・滅却などによる収公と新田開発に伴って,元禄時代(1700ごろ)に約400万石に達した。そののち1744年(延享1)の463万石余を最高として以後減少するが,幕末まで400万石台を維持していた。天領の分布は,全国68カ国中,大藩の領国となった国々21カ国を除いた47カ国に散在し,時期により多少の移動があるが,1730年(享保15)の場合でみると,448万石余のうち,関東筋108万石弱,東海道筋と北国筋が80万石弱,畿内筋が71万石余,奥羽筋50万石余,中国筋44万石余となっている。幕府のお膝元の関東,米作地帯の北陸,大坂をひかえた商品作物生産地帯である近畿,関東と上方をつなぐ幹線の要地東海道に多いことがわかる。」とある。
今日はここまで。

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