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2004.12.26

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-29 「武蔵野市の歴史・明治時代-4」

私は武蔵野町立第三国民学校に入学し、その同じ国民学校を卒業している。国民学校が存在していた年数を数えてみると6年間である。日本にとって国民学校とは何であったのか、国民とは何かについてきわめて貴重な資料がそこにあるような気がする。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・明治時代-4」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「学校の始まり
 まず、武蔵野村となる前の四村に、それぞれ、寺子屋らしい学校がありました。
 「家塾」で、名主の家とか、百姓代、組頭の家で、子供たちに「読み、書き、そろばん」を教えました。
 新政府になると、学校を作ることとなって、各村々に「学校世話役」という役が県の命令でできました。そして、各村に、次のような学校ができ、子供たちの教育を始めました。
   学 校 名  場 所  村  名
   研磋学舎  安養寺  吉祥寺村
   三省学舎  源正寺  西 窪 村
    々      々  関 前 村
   栄境学舎  観音院  境  村
 上のように、学校ができましたが、就学率はよくありませんでした。女子などは、二割から三割くらいしか、学校にきませんでした。
 上下二等に分かれていて、卒業するまでに八年かかりました。下等のほうは、六歳から九歳までで、これは全員が卒業しなければなりません。授業は「習字、算術、問答、書取、読物」となっていて、試験は、三学舎が、県の役人立会いのもとで一度に行います。ですから、当日は、役人、学校関係者、父兄と、総動員で出席し、その人たちの見ている前で試験をやります。こわくて泣きだしたい気持ちで、一生懸命試験を受けました。」
私はここまで読んで思う。最初の学校の名前は学舎であり、場所はお寺だということを知った。村のお寺には役場といい学校といい、神社とはちがった公的な役割が与えられていたのではないか、そのような気がするのである。お寺に役場や学校が置かれていたとはいっても、仏教と関係だあったわけではないだろう。仏教者は当時の知識人であり、お寺が格好の空間を村人に提供していたことが、そのまま公的空間を提供することにつながっていったものだと思う。
今日はここまで。

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