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2004.12.27

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-30 「武蔵野市の歴史・明治時代-5」

誰もがその年になると兵隊になり、子供は大将にあこがれをもっていた。それが私の小学生の頃で、国民皆兵の時代である。物心がついたときの社会のありようが、その子供にとっての世界で、戦争をして負けて、貧乏をして、一生懸命働いて、それでもその世界の中に住んでいる。ほとんどの人は、その世界から逃れる術を持ってはいないのだと思う。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・明治時代-5」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「新政府になって教育の他に、もう一つおどろくことがありました。それは「徴兵令(ちょうへいれい)」です。
 いままでは、武士がプロとして戦いをやる職業でしたが、こんどは、商人も農民も、兵隊になれという命令です。
 幕末から新政府が発足して、しばらくの間は、農民やばくち打ちが、治安を守りましたが、全員兵隊になれとは、おどろきでした。
 治安を守った例をあげると、吉祥寺村の鈴木藤蔵(小金井小次郎身内、四軒寺一家)などが、新政府の要求で、このへんの治安を守っています。
 兵隊問題は、全国方々で反対が起きましたが、明治六年から二十二年まで十六年間かけて法律が完成しました。この間、国内での戦争(乱)は方々にありましたが、西南戦争は最も大きな乱でした。関前村から兵隊として参加した人もあり延命寺文書でわかります。
 面白いことに、戦争に行った人には、明治十二年に賞金をくれたことです。
 話を、武蔵野村になってからに、もどしましょう。明治二十二年、武蔵野村として発足した以後におこった大事件は、やはり、日清、日露の両戦争でしょう。このときも、この村から何人かが出征しているはずですが、文書としてのこっているものは、何もありません。ただ戦死された方がいたことは、墓地などから判断できます。
 この戦争は、食料生産の割当などで、村々は苦労しました。」
私はここまで読んで思う。新政府になって、子供は小学校に三年間は必ず行かなければならなくなり、青壮年は兵隊に行かなければならなくなって、農業生産の働き手がかなり減ることになった。このような形で農業生産から働き手がなくなる事態は、江戸期を長くすごしてきた農民にとって初めての経験であり、天皇の出現とともに大変なおどろきであったに違いない。
今日はここまで。

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