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2004.12.28

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-31 「武蔵野市の歴史・大正時代」

甲武鉄道という名前は聞いたことがあるだけであり、子供の頃は省線といっていた。戦後24年6月国有鉄道法が施行されて国鉄とよばれるようになったが、大人たちはあいかわらず省線といい続けていたように覚えている。さかのぼって大正9年5月には、明治39年3月以来の 鉄道院が鉄道省にかわって、院電が省電(省線) とよばれるようになったという。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・大正時代」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「一方では、甲武鉄道の開通で、人口も増加しはじめます。武蔵野市の発展は、この鉄道によって発展したといってもいいでしょう。
 この甲武鉄道も、明治三十九年に国鉄の買収され、大正時代に入っていきます。
 明治の終わりから、大正時代にかけて花見にくる客は、鉄道で武蔵境駅で下車し、玉川上水を散歩しながら、国分寺まで歩いて、この駅で乗車、帰路につきました。前述した国木田独歩もこのコースを、何回か通ったはずです。
 ただ甲武鉄道の運賃が、堺駅まで下等運賃で、新宿から十二銭かかり、上等だと三十六銭かかりました。米一升が五銭の時代に、家族連れのお花見も、らくではありません。
 大正時代以後は、武蔵野市の発展の時代です。中央線も本数が多くなり、村民の職業もかわってきます。徳川時代から、農家の「手間かせぎ」として、荒物、雑貨を商っていた人たちが、本業とする者も出はじめ、その他の商店も開かれます。」
私はここまで読んで思う。甲武鉄道の駅であった堺駅はいつから武蔵境駅になったのだろうか。おそらく明治三十九年に国鉄の買収されたときに駅名を変えたのではないだろうか。国木田独歩の「武蔵野」に書かれているかもしれない。
国木田独歩についてウエブで「国木田独歩 武蔵野」をキーワードに検索してみると、 「松岡正剛の千夜千冊『武蔵野』国木田独歩」 という面白いページが見つかった。
今日はここまで。

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