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2004.12.29

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-32 「武蔵野市の歴史・大正時代-2」

むかし、吉祥寺駅前の商店街は東京大震災で夜逃げをしてきた人たちが開いたんだ、というような話を聞いた覚えがある。その駅前通りにはバスが走っていたが、バスがすりかわることはできなかった。当時の店でのこっているのは少ないが、いまも立派な店はある。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・大正時代-2」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「大震災で、東京市内に住んでいた人たちは、地震の後の大火災で、市内から外へと、安住の地を求めました。地震と火事でびっくりした人たちの半分くらいは、中央線の高円寺以西に住みました。武蔵野村も、急激に人口が増加しだします。
 明暦の大火で、江戸の街から出た人たちによって。吉祥寺村ができ、芝、西久保の大火で、西久保村ができたのです。
 そして、関東大震災によって大発展をします。それにつれて、村の状態も大きく変化しました。
 大震災当時の人口は約六千人だったのに、その二年後には、約一万人になりました。
 国鉄も、大正十一年には、国分寺駅まで電化され、いよいよ便利になり、飲食店もできました。」
私はここまで読んで思う。江戸市中から東京市から東京都から、いつの時代にもこの流れは止まらない。最近ではバブルの最中から崩壊後の今、この流れに加わってさらにこんどは武蔵野市民も外に出て、市民の流出入がはげしいように思われる。
今日はここまで。

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