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2004.12.30

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-33 「武蔵野市の歴史・昭和時代」

子供の頃、武蔵野町には省線の駅は吉祥寺、三鷹、武蔵境と3つあったが、武蔵境駅にはほとんど行ったことはなかった。終戦直後、吉祥寺駅前の広場に闇市が立っていて、ござ1枚に品物を並べて売っていたことをよく覚えている。ちょうど今、井の頭公園で露店が開かれているのとおなじような状況であった。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・昭和時代-2」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「昭和時代
 人口の増加は、村内を農村としてのイメージから都市風に変化させ、中央線の電化は、この変化を早めました。
 昭和三年、武蔵野町となって、新しく発足します。四村が合併し、武蔵野村を作って三十九年、町となって発展していきます。
 昭和五年には三鷹駅ができましたが、玉川上水があるので、武蔵野町民は、踏み切りをこえて、駅へ行きました。
 同じ年に横河電機KKができ、昭和十二年中島飛行機武蔵工場が開設します。
 その工場跡が、現在のグリーンパーク跡地で、市営グランドは、そのときに使用していたグランドです。
昭和八年には、渋谷から帝都線が入って来ました。この電車が入ってきたことで、井の頭公園は、より一層の行楽客がきました。
 バスも、吉祥寺駅、三鷹駅、堺駅から、それぞれに近い市や町に通じ、昭和二年に、吉祥寺 ー 調布の間、境 ー 田無の間、吉祥寺から柳橋までのバスなどが運行されました。しかし、当時の町民の交通機関は自転車で、千五百台くらいあり、リヤカー付も相当数ありました。
 夏になると、ぼん踊りでしたしまれている「井の頭音頭」は、吉祥寺に住んでいた野口雨情の作で、昭和十年に発表され、町内のほうぼうで歌われ、踊られています。」
私はここまで読んで思う。戦後まもなく吉祥寺駅前にござなどを敷いた闇市があったころ、まだ満足に乗れない自転車に乗って出かけたことがある。人が前を横切ったとき、あわててブレーキがかけられないまま蜜柑を積み上げた台に衝突し、蜜柑を散乱させてしまった。謝るのもそこそこ、逃げるようにしてその場を去ったことを今でも覚えている。
グリーンパークには高校生になってはじめて行ってみたが、そのときには米軍が駐留していて、すでに戦争の跡の惨禍を見ることはなかった。戦争中には、アメリカの航空母艦から飛び立った戦闘機が、中島飛行機工場を機銃掃射している光景を家の窓からなんども見ていて、そこに何かがあると思っていたのである。
今日はここまで。

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