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2004.12.31

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-33 「武蔵野市の歴史・昭和時代-2」

荒井源吉という名前と姿は、小学校から中学までの卒業式での挨拶と、卒業証書の署名として知っていた。
吉祥寺駅前も次第に新宿のようになり、吉祥寺駅近辺の住民だけの駅からは遠ざかっていった。気がついてみると、駅構内には見知らぬ人々がたくさんあふれていて、もう自分たちの駅ではないな、と思うようになっていた。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・昭和時代-2」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

「村から町へと発展して行く武蔵野町にも、だんだんと戦争の足音が近づいてきます。そして第二次世界大戦に突入し、中島飛行場への大爆撃をうけるのです。
 昭和十九年十一月末第一回の中島工場爆撃がありました。このときの飛行機はB29で、数十機が来襲し、死者五十七名、負傷者七十五名が出ました。第2回は、十二月に入ってB29が飛んで来ました。中島工場だけでなく、目標をはずれた爆弾が、近くの民家に落ちたりしました。終戦まで九回で、死傷者は四百八十六人が出ました。
 そして、苦しみながら終戦を迎えます。
 昭和二十一年十一月一日、武蔵野市を市とする告示がでました。
 終戦後、町役場の中にも職員組合ができ、初代委員長は荒井源吉で、当時、役場の財務課長をやっていました。そして、革新団体の町長候補として選挙にのぞみ、終戦後の初代町長となり、市制施行によって、そのまま市長となりました。荒井市長は、三期十二年を市長として活躍され、市としての基礎を作り、現在の後藤喜八郎が次の市長となって、その後の武蔵野市の発展を指導しています。
 後藤喜八郎は土地の衆からは「喜いちゃん」の愛称で呼ばれる武蔵野っ子で、福祉と教育を柱に、太陽と緑の近代都市づくりに市民参加の行政を指向し四期十六年の長期にわたって市長の座にあります。吉祥寺駅北口の開発は目をみはる繁栄を招来し今や武蔵野は第二の新宿と呼ばれるに至りました。」
私はここまで読んで思う。現在の市長は第四代市長の土屋正忠氏で、昭和五十八年就任以来六期目の21年になり、困難な時期を指導して武蔵野市の順調な発展を導いている。中でも私の記憶にあるのは福祉公社の活動で、全国に先駆けた福祉公社の発想と実行には、 武蔵野市ならではの歴史 を感じさせるものがあった。
今日はここまで。

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