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2004年12月の記事

2004.12.31

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-33 「武蔵野市の歴史・昭和時代-2」

荒井源吉という名前と姿は、小学校から中学までの卒業式での挨拶と、卒業証書の署名として知っていた。
吉祥寺駅前も次第に新宿のようになり、吉祥寺駅近辺の住民だけの駅からは遠ざかっていった。気がついてみると、駅構内には見知らぬ人々がたくさんあふれていて、もう自分たちの駅ではないな、と思うようになっていた。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・昭和時代-2」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.30

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-33 「武蔵野市の歴史・昭和時代」

子供の頃、武蔵野町には省線の駅は吉祥寺、三鷹、武蔵境と3つあったが、武蔵境駅にはほとんど行ったことはなかった。終戦直後、吉祥寺駅前の広場に闇市が立っていて、ござ1枚に品物を並べて売っていたことをよく覚えている。ちょうど今、井の頭公園で露店が開かれているのとおなじような状況であった。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・昭和時代-2」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.29

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-32 「武蔵野市の歴史・大正時代-2」

むかし、吉祥寺駅前の商店街は東京大震災で夜逃げをしてきた人たちが開いたんだ、というような話を聞いた覚えがある。その駅前通りにはバスが走っていたが、バスがすりかわることはできなかった。当時の店でのこっているのは少ないが、いまも立派な店はある。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・大正時代-2」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.28

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-31 「武蔵野市の歴史・大正時代」

甲武鉄道という名前は聞いたことがあるだけであり、子供の頃は省線といっていた。戦後24年6月国有鉄道法が施行されて国鉄とよばれるようになったが、大人たちはあいかわらず省線といい続けていたように覚えている。さかのぼって大正9年5月には、明治39年3月以来の 鉄道院が鉄道省にかわって、院電が省電(省線) とよばれるようになったという。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・大正時代」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.27

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-30 「武蔵野市の歴史・明治時代-5」

誰もがその年になると兵隊になり、子供は大将にあこがれをもっていた。それが私の小学生の頃で、国民皆兵の時代である。物心がついたときの社会のありようが、その子供にとっての世界で、戦争をして負けて、貧乏をして、一生懸命働いて、それでもその世界の中に住んでいる。ほとんどの人は、その世界から逃れる術を持ってはいないのだと思う。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・明治時代-5」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.26

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-29 「武蔵野市の歴史・明治時代-4」

私は武蔵野町立第三国民学校に入学し、その同じ国民学校を卒業している。国民学校が存在していた年数を数えてみると6年間である。日本にとって国民学校とは何であったのか、国民とは何かについてきわめて貴重な資料がそこにあるような気がする。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・明治時代-4」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.25

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-28 「武蔵野市の歴史・明治時代-3」

明治時代に三多摩郡が神奈川県になっていたということは知っていたが、武蔵野市吉祥寺に関してそのことがどのように係わっていたか、今まで考えたことはなかった。神奈川県時代は21年にもおんでいる。昔風にいえば、ふた昔を越えているのである。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・明治時代-3」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.24

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-27 「武蔵野市の歴史・明治時代-2」

明治五年五月、吉祥寺村をふくむ四カ村は共に神奈川県に入っている。またその前年の四年四月には戸籍法が公布になって正、副戸長が決められ、戸長には村役人がなっている。
神奈川県に入ったのはまだ吉祥寺村のころであり、ながい時期を神奈川県ですごしている。また戸籍法にともなってできた戸長に村役人なっているが、戸長というのは何をしていたのであろうか。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・明治時代-2」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.23

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-26 「武蔵野市の歴史・明治時代」

三多摩(南、西、北)郡は明治のある時期に神奈川県になっていたが、そのご多摩川の水を必要とした東京府に戻ったのだそうである。そうしたなかで明治時代を吉祥寺村はどのようにすごしたのだろうか、興味をそそられるところである。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・明治時代」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.22

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-25 「武蔵野市の歴史・徳川時代・村々のできるまで-3」

子供のころ遊びの縄張りが一番遠くまで延びたところに、武蔵関があった。西武新宿線の武蔵関駅である。そのうち、駅から近いところに関公園という池のある公園ができて、なんども遊びに歩いていったものである
五日市街道をバスで中学に通っていたころ、関前というバス停があって関という文字に何となく懐かしさを覚えたことがあった。武蔵関を覚えていていたからである。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・徳川時代・村々のできるまで-3」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.21

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-24 「武蔵野市の歴史・徳川時代・村々のできるまで-2」

吉祥寺の武蔵野第三小学校で戦時中をすごしたのち、武蔵野第一中学校に入学した私は、そこではじめて西窪、境、関前などの地名が武蔵野町にあることを知った。そのとき新制中学校は武蔵野町にまだ一つしかなかったから、全町から生徒がかよってきていていたからである。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・徳川時代・村々のできるまで-2」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.20

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-23 「武蔵野市の歴史・徳川時代・村々のできるまで」

まだ子供の頃、吉祥寺から善福寺池を越えて三宝寺池に行く道すがら、まわりはみな畑であったことを覚えている。人の手がかかったところばかりで、見渡す限りの原っぱなどを見た覚えはもちろん無い。また、縄張りの中で葦を見たのは善福寺池の下池だけであった。だが近所にはほんの小さな原っぱがいくつかあって、そこが子供たちにとって自由の天地であった。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・徳川時代・村々のできるまで」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.19

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-22 「武蔵野市の歴史・地名の由来-2」

吉祥寺の東町というのは武蔵野市の東のはずれで、五日市街道と JR 中央線の北側になる。昭和40年代までの中央線は地上を走っていたので、吉祥寺の東のはずれのあたりには高い土手が作られ、谷状の地形が遮断されていた。だから、この土手の北側に大雨が降ると水が溜まり、巨大な池が出現していたのである。
当時の国鉄はこの状況に何も手を打たなかったから、そのあたりの家には木の船が備えられていたのを覚えている。戦後になって、ここに大きなポンプ場ができて、大雨のときに活躍するようになり、雨水が溜まって池になることはなくなっていた。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・地名の由来-2」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.18

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-21 「武蔵野市の歴史・地名の由来」

武蔵野市の歴史にいよいよ入ることになる。このシリーズの 「井の頭史跡散歩」を読む-03 「三鷹市のおいたちと地名の由来・三鷹村の誕生」 では、「武蔵野」が良いのではないかとなったが、お隣で先に「武蔵野」村ときめてしまったから三鷹村と名づけたといわれている、とあった。「武蔵野」村は、ではどのようにして誕生したのだろうか興味があるところである。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・地名の由来」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.17

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-20 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・伝馬・助郷-2」

吉祥寺本宿に住んで長いが、吉祥寺村が高井戸宿の助郷であったことを知ったのはごく最近で、それがどのようであったのかまでは知る由もなかった。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・伝馬・助郷-2」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.16

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-19 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・伝馬・助郷」

伝馬・助郷という言葉は聞いたことがあるが、具体的にどのようなことだったのか知ることはなかった。だいぶ前になるが、吉祥寺東町の本宿小学校の本宿とは何ですかと、4年生に質問されて調べたことがあった。本宿のいわれについて、いまだにはっきりわからないが、そのとき伝馬・助郷という言葉に触れたのである。
井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・伝馬・助郷」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.15

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-18 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・鷹場-2」

鷹狩に使う鷹はどこで捕らえてどこで育てていたのだろ。だいぶ前に、鵜飼の鵜の育て方を特集していたテレビを見た。川鵜は井の頭公園でも見るし、海鵜は九州南端の鵜戸神宮で見たことがある。しかし鷹は見たことがない。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・鷹場-2」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.14

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-17 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・鷹場」

鷹狩りをするようなところは、見通のよくきくところが好ましいのではないかと思うが、武蔵野はそのころ見通のよくきいた野原だったのだろうか。今の御殿山の林のような状態では鷹狩りには不適であろう。武蔵野は原野だったとすると、ここに展開している林の木々はきっと開拓にともなって持ち込まれたのだ と思う。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・鷹場」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.13

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-16 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・上連雀と井口新田-2」

連雀通りに面している井口院にいちどお参りしたことがある。そのとき、院の名前を「いこういん」と呼ぶことを知ったのである。お不動さんがあって、なかなか立派なお寺である。
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2004.12.12

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-15 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・上連雀と井口新田」

井口という名前は井口新田として、また武蔵野市の市会議員の名前として聞いたことのある名前である。むかし三鷹中央病院にいっていたとき、井口院の前を通るので、お不動様であることはよく知っていたが、それ以上に深く知るところはなかった。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・上連雀と井口新田」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.11

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-14 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・大沢村」

大沢というバス停に下りたことがあった、どこと特徴があるわけでもない住宅地であった。近くに三鷹天文台やキリスト教大学があるという。
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2004.12.10

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-13 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・野崎村」

野崎八幡 という八幡様の名前を聞いたことはあるが、行ったことがあるかどうか覚えていない。野崎という地名にも引っかかるものがあるのだが、それがなんなのか、どうしても思い出せない。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・野崎村」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.09

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-12 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・仙川村」

千川と仙川を私はよく取り違えている。それらの川の名前と地理を確実に認識していないせいらしい。私の縄張りは、井の頭池から流れ下る神田川と善福寺池から流れ出している善福寺川が堺なのである。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・仙川村」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.08

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-11 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・牟礼村」

牟礼という音と文字を知ったのは中学生のころだと思うが、面白い音と文字だと思った以外に関心はなく、井の頭池が牟礼であることも知らなかったのである。高校生のころ牟礼や下連雀のほうからきていた友人がいて、なんとなく身じかに感じるようになったのである。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・牟礼村」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.07

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-10 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・井の頭-3」

井の頭公園の散歩ではめったに行くことはないが、このあいだ井の頭池の南の台地の上を歩いたことがある。いつしか見慣れぬ通りにでていて、気がつくと黒塗りの鳥居をくぐっていたのである。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・井の頭-3」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。
「井の頭四丁目の弁財天参道入口の延亭二年(一七四五)の「神田御上水源井の頭弁財天」の道標はいまも堂々と立っている。棹石の長さ2・4メートルのりっぱなものである。この山道の入り口には黒門がある。黒門は黒塗りの木の門なのだが、霧除けのような屋根がつけてあるため、鳥居のように見える。道標の三段の台石には多数の寄進者の名が克明に刻まれている。それらはほとんど芝居関係の人たちで、新和泉町、新材木町、葺屋町、坂井町、岩代町などの町名、中村座、肥前屋、薩摩座の名や瀬川菊之丞、中村勘三郎などの名優の名もある。

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2004.12.06

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-09 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・井の頭-2」

井の頭公園の散歩では、ひょうたん池の方から歩いて狛江橋のたもとにいたり、まっすぐに弁財天の方に行くか、橋を渡って七井橋の方に行くか、その時の気分などで決めている。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・井の頭-2」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.05

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-08 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・井の頭」

井の頭公園は子供のころからの遊びの縄張りであり、善福寺とともに今でも巡回しているのである。子供のころからは、目に見えてさまざまなところが変わっているが、少しも変わっていないところがあると感じている。それがなんなのかわからないのであるが、少しも気にならないところが面白い。
「井の頭のあらまし」の中の「三鷹市の歴史・村々のなりたち・井の頭」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.04

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-07 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・連雀新田のはじまり」

連雀村の開墾も吉祥寺や西久保のようにおこなわれたから、現代の地図を見ても短冊形の区画をもった一連の地域が読み取れる。まん中に連雀通り(江戸時代から昭和50年代まで小金井街道といった)が通っていて、この道を中心にして開かれているような形に見える。
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「下連雀の名主を代々つづけてきた松井家所蔵の文書のなかに、次のようなものがある。」

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2004.12.03

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-06 「三鷹市の歴史・村々のなりたち・下連雀」

下連雀という名前を知ったのは何時だったか、多分中学生のころだったように思う。その頃中学へかようには、吉祥寺駅から電車に乗り三鷹駅に降りていたからである。三鷹駅の南側が三鷹町下連雀であり、人食い川(玉川上水)の南側も三鷹町下連雀であることを知っていた。下連雀という音のひびきに面白みを感じてもう久しい。
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2004.12.02

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-05 「三鷹市の歴史・村々のなりたち」

三鷹市の杏林大学病院や三鷹中央病院などを知り、井の頭公園の南側などを歩き回るようになって、三鷹の地理にもほんの少し明るくなっている。
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2004.12.01

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-04 「三鷹市のおいたちと地名の由来・三鷹村の誕生」

高校時代に三鷹市下連雀や牟礼からきている友人がいて、三鷹市の地名も身近になっていった。
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