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2005.01.27

地図で旅する日本の分水嶺-02「襟裳岬」

襟裳岬の夏に私は足掛け二ヶ月滞在したことがある。襟裳岬の山はなだらかな丘のようであるがすべて国有林であった。木は背丈50センチくらいのカシワと、20センチくらいのシャクナゲなどしかなく、遠くから見ると草の丘の風情であった。
襟裳岬の西側には砂浜も人家もないが、東側の砂浜ぞいに100軒ほどの人家が集う漁村があり、昆布漁を主な漁としていた。漁村を通って海岸沿いに帯広に向かう「黄金街道」と呼ばれる国道があって、そのいわれを聞くと毎年なみかぜに洗われる国道は黄金をいくらでも食うからだという。

「北海道編 大雪山は大分水界の交差点 17 襟裳岬の海をよみがえらせた魚付林」を読んで見ると、むかし襟裳岬の国有林でアルバイトしたころのことを思い出す。
「「日本の美林」(井原俊一、岩波新書)によれば、このあたりでは明治の初めにコンブ漁のための入植がはじまり、それにつれて付近の森がどんどん切られるようになったそうだ。
 おかげで、大正時代にはすでに丸裸になってしまい、「襟裳砂漠」と呼ばれるほど自然破壊がひどかった。おまけに襟裳特有の強風が裸地化した土砂をまきあげ、海に流れた赤土が肝心のコンブに深刻な打撃を与えてしまった。ひと昔前の流行歌ではないが、本当に”何もない春”になってしまったのである。
 ところが一九五三(昭和二十八)年から林野庁が粘り強い植林作業を始めて一〇年。緑がよみがえるにつれコンブの品質がみるみるよくなり、それにつれて魚介類も増え、漁獲量が三〇倍にもなった。まさに豊饒の海が戻ってきたのである。」
私は一九五五(昭和三〇)年の夏、友人と二人で札幌営林局様似営林署襟裳支所に滞在し、植林作業中の国有林の地形測量のアルバイトをしていたのである。当時国有林の境界測量に札幌営林局から本格的な測量班も滞在していっしょに仕事をしていた。
様似で鉄道と別れるとバスで襟裳にはいった。襟裳支所は周りを土手で囲われていて、事務所の裏につづく官舎には四国から赴任してまもない技官夫婦と小さな男の子がいた。陸の孤島のような襟裳に着くと、夏なのに強い風で体感温度は下がり、あたりには寂しい最果ての地という感じが漂っていた。
「魚付林をぬけると、日高山脈が太平洋へと沈み込むポイント、襟裳岬に到着する。岬に立てば二キロ先まで岩礁が続いているのが見えるが、海面下ではさらに六キロも続いているらしい。大分水嶺は海中まで続いているのである。」
私はその後の襟裳岬の林を現地で見ていないが、写真で見るかぎり大成功していると思う。このような林は「魚付林」と呼ばれていて大昔から先祖に大切に保護されてきていたのである。
魚付林の意味を知らなかったと思われる襟裳の人たちの植林努力によって、襟裳の林が「魚付林」としてよみがえった。林と海が一体であることを襟裳の人たちは改めて知ることになったのである。
植林をした襟裳の人たちは将来、この魚付林とともに魚付林を大切にしたご先祖様として永く語り続けられると思う。
大分水嶺がこの襟裳岬を通り抜けているとは当時思いもよらなかった。岬の両側が太平洋であると岬の灯台に立って思っていただけである。岬の先端の岩礁ははるか太平洋の彼方に消えていて、とても大分水嶺に立っているとは思えなかったからである。
今日はここまで。

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» 夏なのに 襟裳岬は 強い風/魚付林(うおつきりん) 江戸の漁師の 理がかなう [アルデバランの 夢の星]
先人のご苦労の全体像を掴むために、色々、引用させていただきました。 どうぞ、よろしくお願いします。 [続きを読む]

受信: 2007.08.25 18:12

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