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2005.02.07

地図で旅する日本の分水嶺-03「甲武信ケ岳」

甲武信ケ岳に登ろうと計画をしたのは遙か昔のことになってしまった。そのとき友人に誘われて北岳の登山に変更して以来、甲武信ケ岳に登っていない。
甲武信ケ岳に登ろうと計画したのは、故あって雲取に四季登っていたころであった。雲取の山頂からは、西に向かって未知の尾根が続いていた。サルオガセの下がったシラビソの巨木の続く、その未知の尾根続きの先にある幻の甲武信ケ岳に、大いなる魅力を感じていたからである。そのころはまだ多摩川の流域しか知らなかったから、甲武信ケ岳について書かれた書物によって、3つの流域を望むという夢を膨らませていたところだったのである。
このシリーズは武蔵野市立図書館に「日本の分水嶺 地図で旅する列島縦断6000キロ」堀公俊・山と渓谷社を返してしまうので、今日ここで一応の終了としたい。

「中部編 日本の秀峰をつなぐ大分水嶺トレッキング 54 三つの大河の源をもつ奥秩父の名峰」を読んでみると、まだ見ぬ山ではあるがこの身は山の中に遊ぶ。
「奥秩父の中核をなす甲武信ケ岳(二四七五メートル、日本百名山)は、山名が表すように山梨(甲斐)・埼玉(武蔵)・長野(信濃)の県境に位置する。中部地方を流れる代表的な三つの川の源であり、まさに大分水嶺の盟主と呼ぶにふさわしい名峰である。」
「「千曲川・信濃川水源地標」は、梓山から西沢沿いの登山道を約四時間ほど登った道のわきに立てられている。あたりはシラビソの林と苔むした倒木におおわれ、いかにも奥秩父らしいところだ。ここで産声をあげた千曲川は、八ケ岳連峰と上信国境連山の間を通って北へ向かう。そして、北アルプスの槍ケ岳を源流とする犀川(さいかわ)と合流したのち、信濃川と名前を変えて日本海へと注いでいる。」
「甲武信小屋の近くには「荒川源流の碑」が立ち、東京湾までの一七三キロの長い旅がここからはじまっている。奥秩父では静かに流れる荒川だが、下流ではその名のとおり洪水をおこしやすい川として人々を悩ませてきた。その対策として、二十年にもおよぶ大工事のすえつくられた放水路が現在の荒川であり、昔の荒川はいまの隅田川にあたる。流域人口は約九百二十万人で日本一人口密度の高い一級河川といってよいだろう。」
「さらに甲武信ケ岳山頂から山梨県側を見れば、富士川の支流である笛吹川の源流がある。
 こちらには源流の碑はないが、甲武信小屋直下の用水ポンプのあるあたりが源流点とされている。笛吹川といえば西沢渓谷の人気が高いようだが、笛吹川東沢の方も奥秩父屈指の渓谷美であるといわれてきた。両門丿滝、千畳のナメといった景勝をもつこの谷は、かっては甲武信ケ岳への唯一の登山ルートであった。
 笛吹川は、南アルプスと八ケ岳に端を発する釜無川と合流し、富士川と名前を変えて駿河湾へ流れ込んでいる。富士川は、最上川、球磨川と並ぶ日本三大急流の一つであり、こちらも大洪水を起こす川として恐れられてきた。」
私はその後、小海線で千曲川流域を、秩父市内で荒川を、石和(いさわ)で笛吹川を見ることになった。いまこの本で甲武信ケ岳の記述を読むと、先日読んでいたメコン川についての本の記述がよみがえってきて、少しも似ているところはないが、甲武信ケ岳がチベット高原と重なってくるから面白い。強いて似ている点を探せば、いくつもの重要な河川の水源を身にまとっている、地球上の特異点ともいえるところだからであろう。
今日はここまで。

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